四元貢君を偲んで
四元貢君とは大歯1年に入学した時E組で同じ組という事で、時々話しをしていました。当時新田先生とか他の先生が彼の呼び方が解からず、君の呼び方はシゲンと呼ぶのかと間かれていた事を思い出します。彼は京都の方に下宿していて真面目で帰り道も違うため、あまり付き合いはありませんでした。彼の話し方は鹿児島特有のイントネーションで少し変わった話し方だなあといつも思っていましたが、全く最後まで変わりませんでした。卒業してスタディグループの関係で鹿児島の先生方と親しくなり色々な話の中でいつも四元君の話が出て、鹿児島県歯科医師会では大変に活躍しておられる話を間いて喜び、さすがに四元君だと感心をしていました。一度鹿児島に行った時、四元君のお宅にお邪魔させていただき素晴らしいご自宅を拝見させていただきました。その時、特にお庭の石はご自慢のようでした。丁度次の日がお子様の運動会があるので来てみないかと誘われて見に行ったところ、各家庭がゴザを敷いて場所をとって、全くこちらでのお祭りの状態で驚き、地方によっては運動会もこんなに違うんだと思った次第です。そこには奥さんのお父さんもお越しになっていて、暫くすると料理屋の軽トラックが「お侍たせしました」と料理を運んで来ました。慣れない私としてはこんなことをしても良いのかと戸惑い驚いた事でした。彼は卒後鹿児島へ帰って、鹿児島大学の口腔外科に在籍しておられ、たまたま上顎癌の手術の話になった時に、うちでは4時間でできると自慢していました。彼は秀才で非常に勉強ができた学生で、色々教えてもらった記憶があります。ある時、同級生で食事をしている時、その中の一人が四元先生と呼ぶので何で同級生なのにそんな呼び方をするのだと間いたところ、友人が彼の家庭教師をしているんだと聞き、さすが四元君だと驚いた次第です。本当に彼は歯科医師として、また鹿児島県歯科医師会でも会長として頑張って会をまとめ、引っ張っていき素晴らしい功績を残し、彼は人生を全うしたと思います。78歳で亡くなられましたが、もっと長く生きて頑張っていただきたかったと今更ながら惜しい人を失くした事を残念に思います。彼のご冥福を心から祈念し、拙い文章ではありますが私の惜別の気持ちとさせていただきます。
(加藤晴彦記)