平成27年度十二支会総会、懇親会「みなと神戸」で開催

本年度の総会、懇親会は兵庫県十二支会の担当で平成27年5月24日(日)正午から「神戸ポートピアホテル29階・聚景園」を会場にして全国各地から38名の参加のもと開催された。今回は黒川森夫会長の発案で正午からの開催となった。総会は岡林眞君の司会で始まり、黒川森夫会長が挨拶に立ち、「昨年度には卒後50周年記念同窓会を開催できました。今後共、十二支会は毎年この催しを開催して行きたいと思います。これからも同窓各位のご協力とご健勝を祈念致します」と述べた。

平成27年度春の叙勲で旭日小授章を受けた橋本猛伸君に黒川森夫会長から祝辞と記念品が渡され、橋本猛伸君から謝辞が述べられた。報告事項、庶務報告、会計報告、学内報告等は書類で配布されて全て承認された。植田勉君からこの一年間の物故会員報告があり、故一瀬啓造君、故大西喜一郎君、故吉川義久君、故小島孝之君、故桑波田秀二君、故辻セキ子さん、加えて中川眞君のご母堂、黒川森夫君の奥様の御霊に慰霊黙祷を行った。協議では次年度開催地を京都府に決定した。今回、特別講演として、橋本猛伸君が6年間にわたる兵庫県公安委員同委員長職を辞されたのを機会に、「公安委員会」の活動内容や活動記録を詳細に紹介された。記念撮影後、懇親会は午後2時から中川眞君の司会で始まり、黒川森夫会長の挨拶につづき会食に入り、中華料理では珍しい
食材と内容でフルコースの食事を楽しんだ。次年度開催地に決定した京都川床での再会をお互いに約束して、盛況のうちに今回開催を担当した兵庫県十二支会会長・川口豐君から総括があり、最後に川本達雄君の閉会の辞で午後4時に終了した。

(黒田延彦記)

高島法男君の思い出

私が中学生だった昭和28(1953)年の事だ。高島君(大14)は当時、中共と呼ばれていた中国から帰国して私の中学校に転入して来た。今にち言うところの帰国子女で、当時そういう人は少なくなかった。朝礼で全校生徒に紹介されたその最初の時間に全校挙げての計算大会というのがあって、そこで編入したての高島少年はぶつちぎりの最優秀賞をとって皆んなの度肝を抜いた。その彼が終生の友となるとは、その時は予想もしなかつたのである。高校も一緒だった。父親が歯科医だとはその頃知った。大学も大歯で同じだった。中学校、高校では何と無く中国の生徒の感じが抜けなかったが、大学に入った時はもう普通の日本人になっていた。卒業してからも左京区の同じ支部だったから、付き合いはもう60年を超えていたことになる。その友を失ったのだから、ショックは大きい。先に述べたが、彼はたぐい稀な記憶力と計算力とを備えていた。将棋を指すと無論のこと私が負けたが、彼は棋譜の初めから終わりまでを再現して、私の敗因を指摘した。私なぞ2,3手前はもう忘れていたのだが。それでそれ以降は彼とは将棋をしたことが無い。日本では中学から英語を習い始めるが、中国ではロシアだったのだそうで、ロシア語が出来た。それで一緒にシベリアやモスクワ行ったのも好い思い出だ。でも本当に得意だったのは中国語で、これはネイティブだった。山を愛し、酒を愛し、交友を愛した良い人生だった。煙草も愛したが、これは拙かったようだ。仕事も頑張って歯科医師会の理事を勤めた事もある。二男二女に恵まれ、賑やかな家庭。医業は子息に任せて楽隠居の身分というところを病魔が襲った。喜寿の手前だったとはいえ、今日ではやはり短い人生だったと言わざるを得ない。返す返すも残念で涙が止まらない。これを書きながら今も心の
中で眩いている。友よ、暫くの別れだ、また会おう。喜寿も近くなると、本当にそんな心境になる。

(二司一郎記)