50周年総会迫る
登美栄会の皆様いかがお過ごしでしょうか。卒業後50周年記念総会も目前に迫って参りました。昨年11月には大阪登美栄会総会が開催され、会長に小室君が再選され、これにより大阪での50周年総会の受け入れも万全となりました。その後、役員会を重ね準備は着々と進んでいます。5月にお願い致しました現時点での出欠のご意思では、100名もの参加者が見込まれています。間もなく最終的なご出欠のご案内をさせて頂きますので、
よろしくお願い致します。きっと楽しい総会になろうかと思っています。さて本会報で前回報告致しました後、4名の仲間を亡くしてしまいました。昨年10月に吉岡芳男君、本年1月に岡卓爾君、3月に益田成穂君、4月に広石動持君がご逝去されました。また、坂口邦彦君が昨年5月にご逝去されていましたとのご報告を本日受けましたのでお知らせ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。
(松田毅記)
岡卓爾君を偲んで

また一人、友が次の世に行ってしまった。本人も思っていたと感じるが、僕の葬儀委員長をやってからにして欲しかった。喋らせたら百戦練磨、さぞ上手い事運んでくれたであろうにl持ち上げると、まあ楽しい男で、我ら13回生は二番手を走る性格なのに彼は一番ばかりを目指す男だった。その為かな、早々に逝ったのは。なんて冗談では無いけれど、本人も我々も心残りです。それにしても政治が好きでしたな。そんなに東京ばかり行って何が楽しいのとよく言いましたが、がむしゃらにゼロ戦に乗って突撃してましたが、イスラム国を破壊出来たかどうか?でも僕にとっては神様;政治学は煙に巻き巻れるもの、税務署もフムフムと巻かれておくもの。時間が解決してくれるとか、技術以外の歯科医学全てを教えてもらった。本当に有難う。また、彼は運動をしないのにゴルフも器用にこなし、1ホール勝つだけで天下を取った程喜ぶし、長々とその話、「若く美しい奥様」も何回聞いたことやら。天上から「ハクシヨン」。しかし、彼の作った梅干は最高級品。あの酸っぱさは僕の孫共々忘れることはできません。本当に色々助けていただき、思えば嬉しくも悲しく良い友を見送ってしまいました。近い内に、次の世で楽しく酒を飲みあおう。待っていて下さい。合掌
(松尾寛記)
広石罰持先生を偲んで

4月15日午後3時過ぎに家内から広石先生が亡くなられましたとの連絡が来た。あまりにも突然な事なので、驚きと落胆で言葉が出ませんでした。便りの無いのも良い便りと元気で悠々自適の生活をしていると思っていました。もう何年も会っていません。奈良を離れて白浜に居を移してからは、余り便りが無く、元気にしているものとばかり思っていました。岩佐君が亡くなった時にも、入れ違いになった様で会う事が出来ませんでした。貴君と最後に会ったのは、所君の1周忌だったと思います。今一度会いたかったです。残念です。以前から糖尿病を患っているがコントロールが出来ていると話していましたね。健康には大変気を付けていた様ですが、お通夜で白浜の自宅にお邪魔した際、奥様からいろいろとお話を伺いました。海が好きだった君は早くから白浜に別荘を構えて、折々に奈良と白浜の生活をしていると間いていました。3年前に診療所を閉院して白浜での生活を楽しんでいましたね。昨年10月に胄癌と診断されて、自宅で抗癌剤の投与を受けながら療養に励み、副作用も無く治療を続けていたとの事。まだまだ頑張られると???もう一度会って、いろいろと話をしたかったです。
6年間の学生時代、君とは何時も一緒に遊び学びました。楽しい学生時代でした。卒業後、私は広大に、君は奈良医大で研鎮しました。辛い時にはいつも夜遅く電話で話をしたものです。今、君との学生時代の事が走馬灯の如く思い出されます。訓々とした中にも筋を通す君の性格に、いつも翻弄されながらも敬意を表していました。いつも気楽に、親友と言うより兄弟のように話ができ、歳を取るともにいろいろ話をする事も多くあり、海の好きな君と瀬戸内の多島美を眺めながら、語り合えることを楽しみにしていました。広石君何故、斯くも早く旅ったのか。君の胸中を思うとき、実に無念です。しかし、君の事だから、瓢々と所君や岩佐君に「俺も来たで」と挨拶をしながら、楽しく話をしている事でしょう。私達もそれなりに老いて行き、いずれは君の元へ行く日が来ます。その時は学生時代に戻って楽しかった事を話しましょう。ご冥福を心よりお祈り致します。合掌
(水野良行記)