龍田宇内君を偲んで

平成27年5月27日、正午より上六都ホテルにおいて龍田先生を偲ぶ会がとり行われました。当日、大歯テニス部
の先輩後輩や、彼が主催していた矯正の勉強会「TOSG」で指導を受けられた先生方、そして生涯を打ち込まれましたネパールの歯科診療所の関係者の方々等、80数名の人達が集まられ、彼の人徳の大きさに改めて感銘を受けました。平成27年2月27日午後0時37分、肺癌によって亡くなる迄、彼のありし日の姿がスクリーンに次々と写し出されると、走馬燈のように昔のことが想い出されて参りました。初めて会った1年E組で机を並べた日、次の日のあの犬小屋の並んだテニスコートでの再会、その二人の出会いに今は亡き縄田君、高木君が加わり1年生から6年生までのテニス部4人組の青春時代が始まりました。授業が終わるとすぐテニスコートに集まり、日が薑れるまで練習に明け暮れました。練習が終わると龍田君の下宿で夕食をご馳走になり、麻雀を教えてもらい、いつも龍田君の一人勝ちでした。1年生の5月のゴールデンウイークには、例の4人組に何故か成川君が加わって、5人で京都の山科から二泊三日で琵琶湖を一周をしたのが今でも強烈な想い出として残っております。学生時代6年間テニスに打ち込んで、4人の絆はより深いものになりました。
卒業後、籠田君は矯正科に残り、僕たちは開業医の道をたどりました。矯正家としての彼は同級生の松本君とペアを組んで顎切で一躍名を挙げる一方、TOSGを作って多くの矯正臨床家を育て上げました。僕もそのお蔭で今でも矯正をやっております。本当に感謝感謝です。不幸にも高木君縄田君は早くに旅立ち、そして今度は龍田君までがいってしまいました。残された僕は今年、子供の為に新しい診療所を建てたばかりです。まだすぐに君達の処に行くわけにはいきません。テニスのメンバーとしても一人足りないし、麻雀するにも-人足りないけど、もうちょっと待っていてください。そのうち参ります。その時は龍田君18番の「言い山脈」を合昌しながら天国でもう一度、青春時代のやり直しをやろうや。龍田君本当に長い間お疲れさんでした。ゆっくり休んで下さい。さようなら。
(西川文男記)
同級生が次々黄泉の世界へ旅立ち寂しくなってきておりますが、来年秋には卒後「50周年の記念の集い」を大阪寿歯会(代田会長)を中心に準備を進めております。これから「集う」機会も少なくなりますので、ぜひこの「集い」に参加されるように切望します。詳細は次号、あるいは葉書で通知させていただきます。なお、京都の高島法男君、高知の岡田保利君も旅立たれました。冥福を祈念致しますとともに。弔文が届き次第、掲載させて頂きます。
(幹事)