大阪歯科大学漕艇部松会 物故会員を偲ぶ会

昨年大晦日、坂本幹彦先輩(大20回)が亡くなられた。その報を聞いた同時代のメンバーから「えっ、あの坂本先生が?」という驚きの声とともに、偲ぶ会を開きたいとの提案が上った。今まで我が部では偲ぶ会という形は前例がなかった。山本彰美(大33回) 松 会会長が会員の意見を聞き準備され、創部以来の物故会員全員を偲ぶ会として5月24日(土)「北新地本通り・琴しょう楼」において開催された。

夕刻より、同じ時代に大阪歯科大学のゼッケンをつけて、「赤いオール」に青春の一時期を懸けた者、監督コーチとしてその指導を受けた者、そして現在この漕艇部を指導している者が集まった。その頃の思い出、忘れられないシーン、皆が腹を抱えて笑うようなエピソード等を語り合い故人を偲んだ。「究極のオアズマンシップである『ロウアウト精神』で最後まで生き抜かれたのだ。」という感慨は根底にはあった。(ロウアウトとはボートを
漕ぐ(row) ときの精神を表す言葉で、レースでフィニッシュまで全力を尽くすことです。)話は尽きず、あっという間に時間は過ぎていったが、最後に今の国家試験そして歯学教育の現状にあって、この部を存続させてくれている人達への感謝の声が上った。

そして故人の御冥福を祈り閉会した。坂本先輩の事を書きたいと思う。私にとってはコーチとしてボートの一から十まで教えていただき、何もなかった我々を全日本レベルで勝負できるところまで導いていただいた。そして卒業後も臨床家として、又、家庭人としての生き方を、長くお付き合いさせていただく中で学ばせていただいた。先輩の現役時代は、大阪歯科大のクルーが戸田のオリンピックコースで艇を蹴り出すと、全国のクルーが偵察に来るほど全国的に名が知れ渡っていた。先輩がコーチをされていた時代、あの一見単純に見える漕法について、「ここまで気を配るのか。」と思えるほど繊細な感覚を我々に教えて下さった。「体育会の部は勝負に勝つ事が目標であって、このボートを、どうすればもっと速く走らせられるか、それだけに集中する事や。」忘れられない言葉がたくさん残っている。亡くなられる三日前、お伺いすることができた。その時はもう、動けないお体ではあったが、「医療に対する自分の考え。」「人間の一生について。」短い言葉ではあったが語っていただけた。最後まで私にとってはボート部のコーチだった。

最後の日、御家族全員に「ありがとう。」と言われて息を引きとられたと聞いている。まさしく「ロウアウト」を体現されたのだなぁと思う。

(大26回 山内正通 記)