大阪歯科大学創立100周年記念館
平成23年は大阪歯科大学創立100周年記念行事で明け暮れました。平成24年は創立100周年記念館の建設に終始することとなるでしょう。4月に起工式、5月末着工となりましたが、まだまだ緒についたばかりです。平成25年4月には待望の天満橋学舎の玄関が上町筋側に姿を現すこととなります。これに伴って5、6年生は天満橋に通学するようです。まさに、「歴史は繰り返す」ですね。
物故者への追悼
平成24年も半ばを過ぎましたが、この号でも3名の方の計報を、お知らせしなければなりません。全員が後期高齢者のクラスなので当然かもしれませんが、寂しく辛いことです。天国へ召されたのは、塩谷求身(2月12日)、藤田弘(4月25日)、竹花静子(5月15日)の御三方であります。故人への追悼文が山田寛君、野口勝弘君、近澤美子さんから寄せられましたので原文のまま掲載致します。なお、塩谷求身君につきましては、横田淳良君にお願いし、快諾を頂いたのですが、ご遺族が一切の記述をお断りになったので、ご命日だけの記載と致しました。
藤田 弘君の思い出
藤田弘君、天界へと旅立つ。50年前ころ、彼に誘われ、多くの研究会に出席した。保存、補綴、外科、矯正、医療管理、等々。東京へも何度通ったことか。時には彼の診療所に著名な先生を講師として講義・実習も行った。当然のこと、その夜は“ビール”を飲みながら、四方山話に花を咲かせた。彼ほど誠実に人生を歩んだ人も少ないのではないだろうか。古代より、四苦は不可避とされている。しかしながら、寂しい。合掌
(山田寛記)
藤田 弘君を偲ぶ
4月27日の夜遅く、古跡君からの電話で藤田君の計報を知った。あまりにも急なことで愕然とした。その途端、半年前に食事を共にした時の思い出が、走馬灯のように浮かんできた。転倒による頭部打撲が原因とのこと。他の疾患ならともかく、注意すれば防げたこと、返す返す残念である。近々に彼に会わねばならぬ用件があった。もう少し早く連絡を取ればよかった、もう一度会いたかったなと悔やむこと頻りである。思い起こせば、学生時代彼とは挨拶を交わす程度で、親しく話し合った記憶はない。彼は他の大学を卒業後、本学に入学されたので私達より年長者であった。年の差がそうさせたのかもしれない。しかし、ただ一つ未だに脳裏にあり、忘れられない思い出がある。それは私が母校の口腔外科学教室副手を辞し、県立岐阜医科大学口腔外科学教室(現岐阜大学医学部)へ移籍する時のことである
(昭和37年4月)。岐阜へ転居する前日、所要があり訪れた仁川(西宮市)で彼にばったり会った。2年ぶりの再会である。しばらく立ち話をし、転居の件にまで話が及んだ。彼は別れ際に「頑張れよ、元気で」、と励ましてくれた。これが初めて彼と交わした会話らしい会話であった。もう半世紀も前のことである。その後に、親しい付き合いが始まったのは8年前のこと。「おやしらず会」の監事を彼が、会計を私が引き受けてからのことである。たまに彼と酒食を共にし、いろいろと語り合う機会があった。その中で、彼は大変深い包容力の持ち主であることがわかった。彼のもとに大勢の人が集まるのは当然のことだと思った。告別式の当日、多くの参列者が、あちこちで涙する光景がみられ、彼の人となりが偲ばれた。喪主の奥様が、「主人は万人を愛し、万物を愛し、そして来る人を拒むこともなく、常に「俺は幸せだなあ」と言うのが口癖でした」と挨拶された。すばらしい生き様ではないか。私も残りの人生をそのように過ごしたいと思う。藤田君、短い間だったが付き合ってくれてありがとう。まだまだそちらに行く積もりはないが、何れはお世話になる。その時はよろしく。冥福を祈る。合掌
(野口勝弘記)
竹花静子さんとの別れ
18歳の頃の春の日に、円形のジャンパースカートをはいて得意そうにくるりっと廻り、たわいない楽しい話をした牧野学舎の予科時代。松林から吹く冬の風の冷たさに震えながらの駅から道の長く感じた時代。我々には確かに青春があった!!!と思い出しています。
そして幾星霜、結婚も、母親教育も、孫を持つ時代も、お互いに波乱万丈に過ぎゆき、思い出ばかり。「明日ウドンを打つから食べにくるか?」の電話があれば日曜の朝の便で高知を発ち、夕方には帰り着く日もあれば、「中華料理の旨い所へ行くぞ」の連絡あればソレッとばかり大阪は歌舞伎座の前で待ち合わせ、一晩泊めてもらって二日酔いの朝を迎えフラフラで高知に辿り着き、今日は別れる、明日別れると騒ぐ私を「そうせェ、そうせェ、いつでも迎えてやるぞ」と応援してもらって、結局別れることなく過ごしてしまった私。静子よりは半時間でも遅く、必ず見送ってから、オレは(行く)といつも言い続けていた彼は、思いがけず先に行ってしまわれましたが、それからのちの静子は何度も生きる気力を失われ、慰めようもない季節ばかりでした。
タスマニア旅行のある朝、「美子、今朝、目が見えへんねん。でも黙っといてや、皆に迷惑かけるから」。「エ? 何で?」と言う私に、「コップの水の中に砂糖を入れて掻き混ぜたみたいや!」。
それでも気丈に予定をこなし、帰国してしばらく安静にし、日本の気圧に慣れ、また元気でいられましたよネ。初めて海外旅行に連れて行ってもらったときは、シンガポール、香港、マカオ、この旅は本当に楽しかったわ。ニュートンサーカスで鶏の唐揚げだと騙され、カエルの足を食べさせられて大笑いされましたが、初の海外で本当に楽しかったわ。そうこうしてるうちに丸さんも亡くなってしまわれましたよネ。貴女のお父さんは、私のパパでもあったので、「パパ!!」と呼んで楽しい海外旅行を何回も楽しみましたねェ。高知産の果物のお礼にって、沢山の高級タラコを送って頂きました。私の口腔内治療のたびに大阪のビルを訪ねて、ネオンサインのつく頃から治療を受け始めると、「美子はエエナァ、治す歯があって。私はアレへン。でも一番エーのを入れてくれてるので何でも食べれるんやで~」と言って、治療が済みしだい夜の街のうまいもん処に連れて行ってもらいまし
た。でも私は口じゅう麻酔に痺れて味は今一でしたよ。それからまた数年、本当に長い長いお付き合いでした。先日、一哉君からお電話を頂いて、「大阪方面もう行けれんようになったわ」と思わず言ってしまったら、「美子さん、何でや。僕に会いに来てや」ですって。大粒の涙がとめどなく流れて、「そうしたい、そうしたい」と言い続けました。思い出は手品師の箱の中のように色とりどりの旗がゾロゾロ出てきて、おしまいが尽きそうにありません。これでいいかしら? 貴女との永遠の別れ。つづきは待っててね。合掌
(近澤美子記)
平成24年度総会について
平成24年度総会を昨年同様11月頃に開催したいと存じます。われわれのクラスには多数の先輩もいらっしゃるのですが、学年としては喜寿の年なので、「喜寿の会」と銘打って盛大に行いたいと思います。会計とも相談し、補助金の方もお願いしたところ内諾を得ておりますので、ご希望、趣向などお寄せ頂ければ幸いです。多数のご参加を熱望致します。
(古跡養之真記)