康申会
康申会の皆様お元気ですか?秋の気配も漂う今日この頃、春に植えた種子は、成長し実がなり収穫の遅吐となっているでしょうか?正月の同窓会報は未掲載となりましたが、その集合写真の中の「稲田君」がこの世を去って早や5ヶ月になります。唯々心よりご冥福をお祈り申し上げます。
30年前を顧みれば、その時、来るべき30年後を誰が深く高き見識を持って考えていたことであろうか?超々高齢化社会の中で、ほとんどの方が有病者で、多くの薬を服用しており、病院歯科でも苦慮する程になって来ています。その情況に対処する、予想の知識と支援に今や思いを致す時ではなき疑問で、医師と歯科医師との格差が毎日のように痛感させられる今日になって来ています。何が原因であったのか?小学校、中学校、高校、大学…受験の努力、幼稚園の入学のために競争があると聞いて驚くほかないのに、0歳児を塾に通うなどは、生きるための悲哀の風もあり、自然なる人さをあらためて考えてみると入学試験や試問とはどこまで大事で「国とは正常であらねば…?」「体ご門を守る」ことが「学校に入る」とかいいうのは、何のためにするのか。それは言うまでもなく「自分の心身のためにする」のである。
かすかな虚栄を喜ぶような愚かなさとは論外として、児童、生徒が志望の学校に入っただけで、満足しているのが話である。世間の様子を見るに、大学卒業して、就職が出来、或は状況に貰えれば就職は楽であるという考え方が、未だ多いのではあるまいか。こうなっては、もはやその人の学問は本筋から離れたもので、自己の心身のためにするという本来の目的からは、似ても似つかぬものに変つている。「自己のため」とは言っても、それは我欲、私欲のことではない。「我相」「人相」「染生相」「寿者相」を取り除くためにするものである。自分が「人の評価、人の思惑に囚われずに学ぶ」になっていても、そのことに気づかず、人々はここに陥りやすいのは歴史が証明しています。
オランダという国では、公立私立を問わず、交通費を含めて国が全額負担する。そして第一に入学試験がない。にもかかわらず、国の生産力は人あたり日本の1.5倍以上である。世に予備校とかが蔓延っているのは、歴史の悲劇的1コマというべきで、そして受験の激化を背景に文科省の「学業成績」を暗号的に。中京では「立志式」を行う。この一方はいつも日本の第一位の県である。橋本左内15歳の書を一度読まれることを勧めます。ところで、歯科大学の偏差値は、東京医科大の教授課程にも引ける科と歯科との格差が示す通り、極めて広い水準となって来ている。一方医学部は、公私の格差はほとんどない。「口腔外科は、外国の多くが、dual degree が現実である。社会のニーズに応えるためには、各分野における今のような国家試すべて改め、入学試験すべて改める必要があると思われる。
左脳社会時代の行き詰まりであり、一種の脳梗塞状態であると言っても過言ではないのではなかろうか。何故おまえはそこまで言うのかという人があるかもしれない。国公の医学部でさえ数学と英語のみの入試で80Kのところあり、数学は入学してから全く教えてはないし、学ぶ機会もないにひとしからずである。全くもって異常である。
私たちは、ついつい「生きている」と思いがちである。しかしこの「空気」、この「水」を「自分」が造ったわけではない。酸素は天地の恵を受けた植物から造られる。「生かされている」という正しいとらえ方というのを覚えている人でなくてはならないのではないであろうか?「心豊かに生きる」のではなく「心豊かに生かされている」である。この時の「心」とは如何なる状態をいうのであろうか。この答えをもって故稲田君への供養とし、9月30日に開催される有田憲司教授のへの祝辞の言葉としたいと思います。ヨーロッパでも多くの方々にご参集頂きたくよりお願い申し上げます。
時間も日にも確実に過ぎていきます。しかし、私たちは、そこを生きてる限り前へ目的ある、生産的なものにして行くことができます。人生の最善の使い道は、その人が終わっても後に残ることで費やすことと断言した方もおられます。人生の価値は、この期間にあっては、何かに対する意識、つまり、どれだけ長く生きたかではなく、どれほど十分にどれほどよく生きたかということにあるという事です。一刻一刻、一挙一動を反思し、一言一念を他のために利し、「身」でもって困(くる)まず、「心」でもって幻想に縛(は)れることなく、「意」でもって環境にまよって惑(うろ)う変わることなく、「志」でことごと堅く進で、今の人生を歩ませて頂くということに心がある。一日一日注意を払っていれば、今からの一年で良い幸を収穫することができると思います。
最後に「真実影」を送ります。心を静かにして「一視同仁」の境地で読んで頂けたらと思います。
「天也空、地也空、人生漂游在其中?」
「日也空、月也空、東牙西啖為誰功?」
「田也空、地也空、換了多少主人翁?」
「金也空、銀也空、死後何曾在手中?」
「妻也空、子也空、黄泉路上不相逢!」
「朝走西、暮走東、人生總如採花蜂!」
「探得百花成蜜後,到頭辛苦一場空!」
楊水開香(永谷 歓 記)
有り難う、稲田君 そして、さようなら

稲田君、君の突然の旅立ちの衝撃に慟哭の想い今も揺れ続けています。悲しくて、寂しくて、そして残念でなりません。
思えば大学1年で出会って以来38年間ずっと友達でしたね。その間ずっと世話になっぱなしだったような気がします。ひとことで言って君は、いつも、さりげなく、さり気なく、だけどド真ん中を衝くなるような人でした。学生時代、よく実習の宿題をさせてもらいに君の家にお邪魔しましたね。ある時期はほぼ毎日のように、深夜までお邪魔しましたね。思い出すと胸が熱くなります。思いますが、君はただの一度も嫌な顔をせず僕を助けてくれましたね、本当にありがとう。君の助けがあったから僕は卒業できたようなものです。
その後も長い間に渡るさまざまなことで色々と相談にのってもらったり、愚痴を聞いてもらったりしていましたね。気持ちがふさぎ込んでいる時も君と会って少し話をするだけで気持ちが軽くなったものです。稲田君、君は本当に温かい人だった。
そんな君に、もうこの世では会えないんですね。もう今でも君の声が聞こえてくる気がしてなりません。毎日君の顔が頭をよぎります。
今からもう20年以上前、家族ぐるみで一緒にアドベンチャーワールドに行ったことがありましたよね。その時君は、まだ若くて可愛い我が娘の真弓ちゃんをだっこしながら、「真弓ちゃん、キリンちゃんですよ〜」とキリンを指さしていました。
あの時の君のうれしそうな顔が昨日のことのように目に浮かびます。本当に家族思いの人きく親でしたね。そしていつも、陽気で穏やかな人でした。
その君が去年の秋に間質性肺炎で入院したと聞いた時は本当に驚きました。だってその一週間前に元気に一緒にゴルフをしたばっかりでしたものね。しかしその後退院して去年の同窓会には、元気な顔を見せていてくれていたので、きっとどんどん快方に向かうものと思っていました。
今年に入って、電話したところあまり体調が優れないということでしたね。その後何度か電話したけど、その都度体調が思わしくないとのことでしたね。少し心配していたのですが、診療を休まずにぼちぼちしながら、つらくも元気なそぶりだろうし、楽観していました。しかしその時君は必死で病気と闘っていたのですね。その時も何か助けることができなかったか、と申し訳なく思っています。
4月6日に天の上から知らせを届けて以来、いまだに心が動揺しています。お通夜の時に見た君の顔は今にも微笑みかけてくるかのように安らかでした。君は長い苦しみの末に、やっと楽にさせてもらえたのかと思うと、それも特有のことですが、この世ではもう会えないことが寂しくてなりません。友達でそこうなので、ましてや残されたご家族の嘆き悲しみがどれほど深いものと思います。どうか残された君のご家族が、君のように元気で支えられていかれることを強く、強く、願っています。
稲田君、長い間本当に有り難う。 もう一度君に会えたら…と思います。
君は本当に、いい奴、でした。
もっともっと一緒にいたかったけれども、僕がそちらに行く日まで、さようなら。
(福田哲巳 記)
お詫び
次の庚申会の記事は本来185号に掲載されるものでしたが、編集の不手際により掲載されませんでした。関係者の皆様には謹んでお詫び申し上げます。
庚申会

庚申会の皆様、新しい歳に入ってすでに1月月が経ち大陰太陽暦では、正月を過ぎようというときに、如何にお過ごしでしたか。
世界の局勢は、まさに「世界恐慌」前夜であり、第三次世界大戦の前のような気配でもありますが、最悪の事態を避け、本来の「人の良心」を取り戻すこといのらずにはおれぬ時代に生きております。
庚申会の方々は「自分は老えて来ることを完全に自覚していることと思います。その自覚の中、子育てで終わった方、子育て中の方、子に対する煩悩という課題のない方、と色々あると思われますが、いつも発信する言葉があります。「元・気・育て」の「元」の「気」があったからこそ「正」の「気」は、到底知りしることはなかったであります。
さて、時おり2、3ヶ月前、31周年の庚申会を母校の100周年に合わせて「芝苑」にて開催しましたところ、55名あまりの参加を得て、本当にありがとうございました。
総会では大塚俊君が司会をして、角田 淳君が会務報告をしてくれましたが、再報の多いのには驚かされました。ここにその御労に対して、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。さらに、西藤 隆弘君に会計報告をしてもらい、承認されました。米谷裕之君に学内報告をしてもらいました。その後、近況報一部君が庚申会に久々することが承認されましたので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
懇親会では、本部同窓会より、副会長の岩田益司先生、常務理事の恩田種雄先生にご臨席を賜りました。誠にありがとうございました。岩田先生には、会長の三谷 卓先生よりのメッセージをご披露して頂き、恩田先生に乾杯の音頭をとって頂きました。
その後は、いつも通りで、余興も何もありませんが、ざっくばらんに自由に語り合うような開会となりました。こういう同窓会があってもあれは良いと思います。世界の局勢をみると、不安定であることは言うまでも及ばず、角田 君を中心にした生に「五十周年」で平穏化したことを聞くに及んで「事に感始めある」ことを思い起こしました。これからは「一期一会」で過ごすべきではと思います。今回は、末利光君が鹿児島より駆けつけてくれた事は本当に嬉しいことでした。彼の元気そうな顔を見て、ホッとしました。取吹の松本侑君、中村英幸君もいつも元気な顔を見せてくれるのでありがたいです。庚申会の皆さん、年一度、苦労しながら生活を営むながら近況を「顔」になってくのは本当に何より難しいことです。今回は大塚俊君が本当に100周年という東京で回ってくれたおかげで、庚申会の事を何かの片で、面倒を見てくれ、いつもながら、覚道芳崗君がFaxを何回も発信してくれて、会計を西藤隆弘君がしっかりやってくれるおかげで赤字にならないですまします。この場をかりて改めて、お礼を申し上げます。
さて、今年はという訳でもありませんが、「上」「反」ですね。昨年の「羊」の問題がふえつつ増大し、それに対する右脳と身体の批判的反応が増えてくるようで、理性に向かって手を抱くよりも、感性に、いろいろな抵抗や妨害と闘いながら歩み進めて行くという「反」に思いが高められます。収拾できない状態にならないために「施道」を通すことを忘れず、共に支え合って混沌とした世の中を「倫理道徳」でしか解いて行くことが切なることになります。
故 岡本 渉くんが一度退院したときの話ですが、病気が好くなった祝いにと「バカラ」の花瓶を送ってもらった。3年前ぐらいに、切り花の一本をその花瓶に水を入れて、挿しておいた。何日経っても枯れず、ある日、一本の根が出てきた。こうなると抜け腐ることなく一本一本と増えていつつ、ついに直径7cmぐらいの玉の根となっていた。昨年だったか、その先に二輪ぐらいの小さい花を咲かせた。それから、随分たっても、今年の春、新しい太い根が出てきた。ある日、それがの根が曲がり、小さな芽が二つ出てきた。それがこの写真である。何にも栄養を与えていない。ただ、水をあげただけである。

世にはIPS細胞とか万能細胞などがあるが、これもそれではないかと思うようになった。岡本 渉君が残してくれたものか、よく考える日々が続いている。私のいう身近にあるところが本に「THE CELL」という分厚い書物がある。分子生物学から生物をあるがままに読み取らんとするものであるという。時々開くとその神秘に触れる。口腔解剖学の専攻をの時の「破骨細胞」への研究の興味をひとつ取り残した一つの仕事であるとまったけれど、最近フィンバークの「がんの生物学」などを持ち元に戻して「正常」と「異常」について思索する時がある。「一個」と「全体」の問題で、「一個」が崩壊し、「一個」が抜けると「全体」が成立しなくなるという問題である。それをE=mc^2という形式で意味化を知りたくてファインマンの本を生み出されている若者して理解しようと努める姿がある。地球は年周時速1500から1600Kmで転じているが時速117Kmで太陽を公転する。1兆の1万倍の25倍の25京を中心に時速80万Kmで銀河系を回って2億2600年で1周しながら他の銀河と相互に離れていく。5000年前、伏羲が森羅万象を『易』として八卦を降ろしたときに「不易」を解き明かすべく様々な解釈が後世になされて今に到った。
『破骨細胞』も『癌細胞』も『細胞』である。この『細胞』に関して取り扱いを間違いの起こらないことを祈りながら『万能細胞』『iPS細胞』に関心を寄せていくことには、やがて明らかになるであろう『ヒッグス粒子』『素粒子』と無関係ではないということが事柄として内在している。
太陽の中心核では、水素が融合してヘリウムを作っているが、そのプロセスで、水素の質量の0.7%がエネルギー転換して放出され、それによって太陽が輝いている。これが0.71%でも0.69%でも宇宙ができない。0.71%だと星の進化のスピードが物凄く速く、水素を使い尽くし、太陽は既にない。0.69%だと進化のスピードが遅くなりヘリウムが結合できず、137億年たった今も炭素は作られていない。つまり、生命は生まれていない。何という微妙精巧な宇宙のバランス。ここにはサムシング・グレートの意志が働いて、奇蹟が実現しているということができるのではないでしょうか。この神秘の生命を故 岡本君は一瞬も忘れないように「殺」なく「生きよ」と教えていると感じている。
今年は『有田憲司』君の教授就任のお祝いを兼ねて庚申会を開催したいと思います。
万障お繰り合わせの上、ご参加の程よろしくお願い致します。
拝 庚申会(永谷 敏 記)