神戸ポートピアホテルで登美栄会総会を開催してから半年以上が経ちましたが皆様には如何お過ごしでしょうか。昨年11月には野口洋司君が旭日双光章を受章されました。心よりお祝い申し上げます。又、残念な事に長年病魔と闘ってこられていた龍田安司君が5月23日にご逝去されました。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
次回の会報には50周年記念総会の概要を掲載させて頂けると思っていますので、よろしくお願い申し上げます。

(松田毅記)

龍田安司君を偲んで ——開業医の半世紀——

兵庫登美栄会(大歯13回卒) 副会長、龍田安司君が亡くなった。2014年5月23日(金)早朝、享年74歳であった。彼は歯科医の父親の地姫路市で昭和42年7月開業、今年で大学卒後49年の歳月が経過した。昭和50~51年には大学同窓の不動君、久保君の三人で東京の保母研修会に一年間通われ、近代歯科医学を研鑽されたと聞き及んでいる。昨今はご令息の光弘君に診療所を譲り病気治療に専念していた。約8年前、胃と肝臓に悪性腫傷が見つかり、先ず胃を摘出し、肝臓も外科と内科療法による治療が施されたが、爾来体調を崩し入退院を繰り返し途中食道にも転移がみられた。抗がん剤の副作用と戦いながら、実に強靭的な精神力で発病以来8年の年月を生き抜いてこられた。昨年10月26日全国登美栄会総会を神戸市のポートピアホテルで開催の際も奥様に手を取られて出席してくれた。これには参加者の全てが驚愕した。それはまた、同時に多くの友に勇気を与えることにもなったのだが。ご令息の話によると彼は発病以来今日までバラ作りに専念しちょうどこの時期庭には数々のバラの花が咲き誇っているという。小生にバラの殺菌剤 「サプロール」を紹介してくれたのも彼であった。

姫路市歯科医師会にあっては、昭和56年から平成9年3月まで常務理事を、平成9年4月から12年3月まで専務理事として会長を支え活躍された。告別式の翌日奥様に電話をしたら「素晴らしい友人に恵まれ、多くの励ましをいただき主人は幸せでした」という言葉が返ってきた。おそらく、天国でもバラの花をいっぱい咲かせていることであろう。龍ちゃん、いずれ我々もそちらに参ります。その折には、バラに囲まれたお庭で大いに祝盃を交わそうではないか。

(山口省三 記)