平成25年7月6日(土)に、平成25年度総会ならびに学術講演会そして懇親会を開催致しました。当日は午後4時30分から私、大塚が司会を担当し、黒田君が議長となって執り行われました。角田君が会務報告、米谷君が学内報告を、そして会計報告を西藤君が行いました。午後5時からの学術講演は、平成23年に小児歯科学講座主任教授に就任された同期の有田君が引き受けてくれました。卒後三十余年となる私達にとって、母校の教授となった同級生を講師として迎えられた慶びを感じることが出来ました。また、講演では、今日に至るまでの足跡と研究内容を披露して頂き、内容盛りだくさんの講演会となり、同級生として誇らしく感じられました。その後、場所を大阪キャッスルホテルの『錦城闇』に移し、懇親会を開催しました。思い起こせば、学生時代にクラブコンパやティッシュコンパ等でよく利用した会場です。懐かしい場所で懐かしい級友が、人生に深みを感じ始める年齢なのに、たわいもない話に沢山の花を咲かせていました。幾つになっても腹を割って話せる気のおけない級友たち、やっぱり同窓会っていいなあ。毎年、欠かさず続けております庚申会、これからも、何時までも、沢山のメンバーで続けていきたいものです。また、今年も逢いましょう。楽しい時間を過ごすために。
(大塚俊裕記)
西村 朗君を偲ぶ

西村朗君の急逝の連絡は、たまたま同窓の弘部俊彦君からのメールで知りました。そこには「西村朗君が亡くなったと、今メールが来た」とあり目を疑った。うそだろ? 先日も元気そうなメールが来てたじゃないか? 全く信じられなかったが、すぐに尾崎均君からも電話があり間違いでないことがわかると、あまりにも突然なことに愕然として、ポッカリと心に穴が開いてしまいました。西村君とは大学入学時に同じ組となり、あの、いつもの歯ぐきを見せながらの人懐っこい笑顔で言った「僕のこと、にーちゃんと呼んでや!」が彼との仲の始まりでした。それからはみんなに「にーちゃん」と呼ばれて親しまれました。彼は誰に対しても優しく、怒った顔は殆ど見たことがない、とっても繊細でシャイで誰からも愛される人柄でした。
大学ではサッカー部のキャプテンでサッカーが好き、ゴルフが好き、車が好き、音楽が好き、そして気を遣うからかいつも胃薬を飲んでた西村君でした。牧野・香里園と下宿・アパート時代の一緒に過ごした楽しい日々を思い出す度に、とても悲しく切なく寂しくなってしまいます。大学卒業後は、ひょんな事から同級生の野呂吉孝君、更谷啓治君、故・稲田勝博君、そして西村君と私の5人で、年末は大阪でフグを食べながら大笑いして忘年会をするのが恒例となってました。途中からは藤田俊也君も加わり毎年この忘年会でみんなと会うのが楽しみとなっていたのですが、その後に磯野典正君も加わった頃には西村君は忙しくなったのか来れなくなりましたね。西村君と最後に会ったのは、一昨年の野呂君のお父様のお通夜の時でした。その時に野呂君が「にーちゃん、お前だけは先に逝くなよ、悲しすぎて泣いてしまうからな!」と言って、私も同じ思いだったことを覚えてます。まさかそれが現実になるとは悲し過ぎるやないか。でもきっと、に一ちゃんは天国から「みんな、そんなに悲しまんと僕の分も長生きしてや」といつもの笑顔でつぶやいているんでしょうね。にーちゃん、またあっちで会った時は楽しくやろう、そして今まで、本当にありがとう。合掌。
(内藤春生記)