庚申会の皆様お元気ですか? 日々の暮らしに忙殺されながら、60年以上この世に肉体を与えられて、人として生かされてきたことは、決して「当たり前」の事ではなく、とても有難いことだと思う今日この頃です。夏の暑さが過ぎても体調が戻らない人はいませんか?

今年平成28年度(西暦2016年)36周年庚申会総会並びに懇親会は「木曽路北新地店」にて開催いたします。
(大阪市北区曽根崎新地1-3-26 ぐらんぱれすビル2~3F TEL 06-6347-4711)

日時 平成28年10月1日(土)
午後5時30分 役員会・総会
午後5時55分 記念写真撮影
午後6時00分 懇親会
当日会費 5,000円

今年はやめて又来年顔を出そうと思っている方は、是非今年来てください。元気になることが必ずあります。多くの同級生が闘病中であります。お見舞いにも行けず申し訳ありません。この夏を乗り越えられたでしょうか? 今年参加することは「知足」と解して宜しくお願いいたします。「寒山詩」の中に次の様にあります。

老病残念百有余
面は黄に頭は白く山居を好む
布裘質を擁して縁に随って過ぐ
人間の巧みなる様模を羨まんや
心神用い尽くして名利の為にし
百種の貪婪己が軀を進む
浮生の幻化は燈燼の如く
塚内に身を埋む是れ有りや無しや

この詩は世人が虚栄と名利のために心身を労しているが、遂には老化して行くことを述べています。人生を夢幻のようにはかない燈火の燃え残りのようにしてはならないと思います。梅雨時に思い立って滋賀県の高島市安曇川の近江聖人「中江藤樹記念館」に行ってきました。その隣には「中江藤樹の神社」があります。その広い庭の一角に「庚申塔」を見つけました。「見ざる、聞かざる、言わざる」の三匹の猿の象が陽刻してあった。60日あるいは60年ごとに巡ってくる「庚申」について記してあった。人間の体内に宿っている「三尸(さんし)」という虫が庚申の夜に体内から抜け出して昇天し、天帝にその人の罪や過ちを知らせると命が奪われるという。おっかない虫ですが、各地に残る「庚申」の意が分かるような気がしました。

長尾 保さんを偲んで

2016年3月28日 13時30分に「長尾」さんが他界されました。ここに謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。脳卒中で60歳の時に倒れてから7年の歳月が流れます。ご家族の方々の看病も大変であったろうとお察し申し上げます。7年前、突然倒れた事を聞いて駆けつけた時は、何も物言わず息だけしておられたことが昨日の様
に思い出されます。その後手厚い治療看護によって今年の年賀状にはご家族の楽しい写真が撮れるようになったことを喜んでおりましたのに。非常事態の7年前に西村健君と小林雅代さんのお二方に長尾歯科を助けていただいたことを改めて感謝申し上げます。長尾さんと私は入学時「C」クラスで席が前と後ろでした。同い年だと思って、「長尾、長尾」と呼んでいたところ、7つも年上であることが分かって、それからは「長尾さん」と呼ぶようになりました。たいへん失礼な事をしたと反省しております。長尾さんはオーケストラ部で「オーボエ」の奏者をしておられました。かなり難しい楽器らしく、私の六畳一間の下宿でも練習しながら、「簡単に音がでるようなピアノとかより、なかなか音の出せない楽器やからおもしろいんや」と言われたのを憶えております。長尾さんは「電気」の大学に行かれておられた様ですが、「電気は見えないので馴染めない」と言われていました。深草の家にお邪魔したり、京都のいろんな所へ連れていってもらったので、卒業する頃には京都は「庭」とはいいませんが、田舎者の私にとっては楽しい思い出の光景が数多くあります。たぶん私を何も知らんやっちゃなぁと思われていたのだろうと思います。
三年生の頃でしたか、長尾さんの車で岡山方面をあちこち旅行しました。今の様に日本中どこへ行っても車だらけということはなかった時の話です。天満橋では長尾、永谷、中井(久夫)と並んでいましたので、結構いろんな事を教えてもらいました。学生時代、学友会の会計、5年から国試の対策委員を任され異様な厳しさの中に身を置いた私にとっては、長尾さんとの懐かしい思い出が尽きません。「庚申会20周年」が終わって長尾さんから「よかったな」というファックスが大きな大きな字でいただいたことは、一番新しい記憶です。お互い卒業して忙しく、時があっという間に経ってしまったというのが本音です。「長尾さんいま、どうしておられますか? またご縁があったら宜しくお願いいたします」。最後になりましたが、現在闘病中の同級生に一言申し上げます。

「孟子」の「尽心」には次の様にあります。

「其の心を尽くす者は、其の性(自分の本心)を知るべし。其の性を知らば、則ち天を知らん。其の心を存し、其の性を養うは、天の事 (つか) うる所以 (ゆえん)なり。天寿(ようじゅ) 貳(たが) わず、身を修めて以て之を俣(ま)つは、命(めい)の立つる所以(ゆえん)なり。」

追伸:
庚申会の会員の奥田剛久君がメジャーデビューをしてから久しいが、彼のCD「yakushima」は人類に残る自然界の癒やしがあります。すがすがしい朝、悩める時、疲れた時、夜、ふと我に返るとき、又病気に落ち込んで苦しい時に一度手にして、じっと聴いてみてください。きっと心が静かになりますよ。
当下一念

掬水聞香(永谷敏記)