
庚申会の皆様御元気ですか?この同窓会報が皆さんの手元に届く頃は、正月も過ぎた頃で“寒い日々”の中であろうと思います。良いお正月を迎えられた方も、そうでない方も何とか乗り越えられた方も様々でありましょう。時は容赦なく人を待たずに過ぎ去って行きます。この同窓会報は36年間クラスの世話人代表をさせていただいた愚私の「庚申会会員」にあてた一つの理念であります。従って、折に触れて愚私の話を聞かされた「庚申会会員」にしか理解できない内容になっております。この同窓会報は出版されると誰の目にも触れるのですが、誤解の無いようにお願い申しあげます。
昨年、平成28年度36周年庚申会総会並びに懇親会を「木曽路北新地店」にて開催しましたところ、約50名あまりの方が集まっていただき本当にありがとうございました。当日、急用や急病で参加出来なかった方も何人か居られた様で、本当に次から次へと色んなことが人生の中では起こるんだなぁと思いました。当日は午後5時半より大塚俊裕君の司会で覚道芳樹君が議長、慶弔報告を角田淳君、学内報告を米谷裕之君に行って戴いて無事総会が終わりました。懇親会は、有田憲司君の乾杯ではじまり、大歯同窓会より生駒等会長、恩田信雄専務にご臨席を賜り、熱き大歯への思いと今後の問題を提起され、参加した皆は、その都度うなずいていました。日本料理店で、大変いい雰囲気の会場で暖かい心遣いがあり、みんな満足していました。
さて、庚申会は卒後45年目において、2025年問題もあるけれどもまずは大歯同窓会100周年と同時に「庚申会40周年」(2020年)を視野に東京オリンピック後の「庚申会」についてハッキリとした筋道を立てておきたいと考えていますので、ご意見のある方、ご助言をいただける方はどんな小さな事でも発言して「みんなのためになる」ように持って行きたいと思いますのでご協力の程宜しくお願いいたします。
「同窓会に出席できる」ということは「何とか人生を生き抜いている証」だと言ってくれた同級生がありますが、本当にそうだと思います。これは「有難い事」なのだと思います。「盲亀浮木の話」を聞かれた方もあると思いますが、「有難い」ことを「当たり前」と思わない晩節を送りたいものです。ところで「人生に意味がある」とすれば、その自分の命をどの様に使うかということになる。その自分の命とは、相対的な中では“時間”ととらえるとわかりやすい。地球は1日1回自転をし、相対的に太陽の周囲を1年で1周しているといえども、宇宙空間では、スパイラルに動いている。私たちの1日はこの空間の中で、二度と同じ一日など存在しないわけである。だから時間の使い方がその人生の意味を表在させてくることになる。ところが、時が人生が指一本の情報に振り回され、心が乱れ、焦点がぼけ、人生の封書を開けないまま過ぎてしまうこともある。庚申会を見渡すと、その時間の長短を問うのではなく、どう使ったかの質を問い直したいと言うべきであろうか。人間の性質は様々であるが、その様々ある人の間に、唯一人でも、人本来の最も善いものに近づくことが可能性としては残されている思われます。生か
されているうちに向かうべき在り方の基準となり得るものである。
庚申会総会を毎年非常に安価で開催するのは、やはり同窓と会って、同窓を知って自分の在り方を知り、確かめることに一番の意義があると36年間思い続けて来たからであります。ここに「生死一如」という言葉がある。庚申会の皆様も“生老病死”の一方向の中で、振り返って「死」について考え抜く時が今来ている。心とは何か、身体とは何か、真心とは何か、魂とは何か。今の人類の歴史は、既にわかっているのは5~6万年とされている。その中で記録されているのは、せいぜい「易経」の源泉を求められ
る程度であるが、きっとこれからの人類を明るくする将来を解く鍵があると信じてやみません。限られた時間の中で、未来に思いを馳ながら歴史を学びとることは容易なことではありませんが、歯科医療も例外ではありません。卒業後、OA機器から、SNS、マイクロ、CT、インプラント、光学印象等々、品々は変わっていくであろうが、人間の本質が変わるわけではあるまい。40周年を元気に迎えられる事は、大歯100周年の半分に近い中にあって皆さんが一歩一歩歩んできた証であります。どうかこの機会を逃さず「庚申会」の「質」を高めて未来に寄与したいと願いながら筆を置きます。
掬水聞香 (永谷 敏 記)
追伸
闘病中の庚申会の皆さんへ 「星野富弘」さんの詩を送ります。
冬があり、夏があり、
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が
咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく
