第50回ひとわ会記念総会(大阪)

 我々、ひとわ会も卒業して50年の年月が経過致しました。総会も回数を重ねること50回を迎えるに至り、今回、平成24年9月8日(土)場所も、大阪リーガロイヤルホテルにて大阪ひとわ会の担当で行われました。

 午後4時より受付、午後5時から総会を同ホテル28階・クラウンクラブルームにて開催。司会のあいさつも本日出席者への労いのことばで始まり、前年度総会以降に亡くなられた岸本廣宏君、山口富士雄君、児玉和之君の霊に対し黙祷を行った。次いで梅谷代表の挨拶「始めに本総会に出席の方々に礼を述べたく、卒業して50年、毎年欠かさず総会を開催し、会員相互の交流を計っている学年は我がひとわ会のみであり団結の強さを誇って良いものだと思う。このことを念頭にこれからも続けて行くことを望みます。」とのことでした。

 次いで、総務、会計より報告があり、一同の賛同を得た。協議事項として今後の総会開催の件で意見を問うことにした。来年度は広島での開催は決定、それ以後のことについて色々な意見はあったが、結局、例年のように行うこと、場所は前年の総会の時に決定するとのことで総会も終了、その後記念写真撮影から宴会へと移る。

祝宴:(同ホテル28階クラウンルーム)

 司会、中島君より開催50回記念の意味を述べ、先ず出席者の健勝を祝う。これは寿に例えれば金婚式を迎えたことと同じであり、お互い元気で幸せでなければ迎えられないことで、今回こうして皆様と一緒に迎えられたこと誠に喜ばしく思います。

 さて本日は大賀賛として、大阪歯科大学同窓会会長:三谷 卓先生、大阪府同窓会会長:生駒等先生の御同へをお迎えしての宴会となりましたので宜しくお願い申し上げます、とのことばで式を進行した。

 次いで梅谷代表の挨拶のあと、来賓の三谷先生からの祝辞を賜り、乾杯の発声を生駒先生にお願い致しました。その発声と同時に本日イベントとしてブループ名“タムリンバ”に依る打楽器(マリンバ、カホン、ジャンベ等)の演奏開始、稀な楽器演奏に皆、目を見張り興味津々と聴き入っていた。

 その演奏をバックに会食の時となる。久しぶりの再会の皆が互いに話題に花を咲かせ、旧交をあたためていた。宴も打ちとけ、その間を利用して本日行われたゴルフコンペ(於 枚方CC)の成績発表を行い、成りの盛況ぶりであった。

 宴の名残りは尽きなかったが、午後8時に終宴となる。二次会に行く者、帰路につく者、三々五々に別れて行った。

感想:今回の開催にあたり昨年と同じ場と云うことで不安面もあったが、大阪ひとわ会として内容の充実、記念に残るものはと他に考えたが、結局、会の事情もあり、出席者へ記念品の贈呈が精一杯でした。参加入数も当初懸念していた以上に参加者あり昨年と同じくらいでほっとしています。次回は広島での開催です。より多くの方の参加をお願いし、又各会員方々のご健祥を祈りつつ、結びに致します。

(大阪ひとわ会 福原幹二記)

【追悼文】山口富士雄君を偲んで

4月18日、山陰の遅咲桜と共に、畏山口富士雄先生が世界された。補綴実習で私達が真似の出来ない、あの芸術的模型さながらの義歯を米子の街でつくり続けたフーチャン。仕事一筋に生きながらも、人間を愛し、酒を好み、ビールの会の会長や歯科医師会、ライオンズクラブの重鎮として夜の部長の面、ボーイスカウトの隊長を若き頃から続け、その制服に誇りをもつ続けたナイスガイが3月3日最後の患者を診て、孫の為に雛人形を飾りつけ、家族と夕食を愉しんで床に着いたのが最後とは、朝に孫ちゃんが起こしに来た時は既に意識がなく、返事もすることなく眠っていたそうです。

 奥さんから電話で近所の米子医大に入院させたの報をもらい駆けつけた時、集中治療室のベッドの上。オイ‼ フーチャン起きてくれと念じ呼べど声は届かん。顔、学生時代実習の代作を頼んだときに、あんな顔で呆んかし振りをしたっけな。桜が咲いたら一杯やろうぜ、酒が不味くなったらヤバイと言うが、酒は美味いから当分は死にはしないよ、と云ったフーチャンが寂しいことになった。でも君は最愛の奥さんと娘たちに最後まで見守られつつ大往生だった。我が家では女護ヶ島と常に云っていた君は満足だったろうな。(H24.4.18近去)
 

働き者の君がそろそろ隠退し、豪華客船で旅でもしたいという最近云っていたのに、仕事仕事でやり残したねー。俺も少しは生きながらえ、そっちに行った時に旨い鮨のタネを作りたいと思っている。ウサギと亀のような君との競争人生だったが面白かったね。人並みに安らかにお眠り下さい、など云わないよ‼ 天国じゃやていぃい店探しておいてくれ。そっちに行く時の楽しみにするよ。君の米子の城、山口歯科医院は富美子(三分)先生がしっかり引き継いでいるから、安心して天国でも中男児として活躍して下さい。バイバイ、またね。

(鐘築英志 記)