
皆さんお元気でお過ごしでしょうか。
平成24年11月8日、大阪歯科大学付属病院食堂(14F)にて一新会総会を開催。当日は現在籍45名中21名の方が参加、卒後50余年全員が傘寿を超える現状の中での出席者の減少はやむなきでしょう。総会は末廣君の開会の辞で始まりました。
森岡会長挨拶は次の通りです。
昨年の4月にクラス会を開催、それから1年7ヶ月が過ぎました。その間色々な事があったと思います。欠席された方の中には体調不良の方が多くおられます。私たち80歳を超え後期高齢者と思わず石原前知事も同年齢80歳にして国を憂い “かっこ悪い老人” とか “暴走老人” とか言われましたがこれからもう一度頑張るようです。
私達も負けずに頑張っていこうではありませんか。本日の会場のこの天満学舎付近もすっかり変貌し昔のイメージはありません。色々と昔を思い浮かべ乍ら今日は学生時代に戻った気持ちで楽しい一時を過ごしたいと思います。昨年母校の100周年の記念事業として追手門通りに面しプールのあるODUウェルネスホールの前の所に学舎を建設中です。天満学舎と楠葉学舎と、ある面での不便を解消する為等の理由で現在拡張建設中です。
見学を兼ねてクラス会を開催してはどうかとも思っております。今日は時間の許すかぎり楽しい時間を過ごして下さい。故会員のご冥福を祈り黙祷、会務報告、会計報告と進み、森岡君より欠席の方々の近況報告がありました。
◎磯遊君 80歳を過ぎ一段と老化、寂しいかぎりです。
◎岡田君 足の動脈硬化の為、長距離の歩行困難。
◎岩堀君 元気でやってます。
◎佐藤君 硬膜下血腫のため2回に亘り入院。現在はまあまあ。
◎嶋村君 白内障の手術後の間がない為欠席。
◎長野君 有病なれどなんとか元気です。
◎寺内君 杖を歩いていますが元気です。
◎直田君 今回は旅行中の為欠席。高血圧を除けば至って元気。週1の治療、詩吟教室を継続中。
◎古市君 安穏なり。過分を知らず、天命を待つ。
◎浜口君 元気で過ごして居ます。
◎堀君 体調やや不良、テレビの守の一日。
◎英君 只今病気療養中で休院。
◎松本君 私事で今回は欠席。
◎森本君 2年前心臓のバイパス手術を受け無理出来ない状態。
◎矢野君 元気で過ごしています。
◎渡辺弘君 どうにか健康。家族との旅行を楽しんでいます。
◎田中君 検査入院と重なった為欠席。
◎吉田君 あちこちこちらと病院廻りで忙しいです。
◎渡辺祥君 老後をしみじみと味わっています。
◎秋田君 以前からの腰痛がすっきりせず長時間の移動困難。
◎田村君 体調に自信が無くなり今回は欠席。
◎三木君 体調すぐれず、歩行困難。
当日の出席者からの各自の近況報告もあり、それぞれ年齢には逆らわず年相応に人生を楽しんでおられる様子。人生80年代、健康長寿で生きることが人生最後のステージでの目標ではないでしょうか。お互い無理をせずに来年も元気でお会いしましょう。
次回の一新会総会は森岡会長、幹事、に一任で開催することを決定。
(村田安充 記)
井倉宗弥太君を偲ぶ

壮健そうで、当然の様に何時も心を支えて頂いてくれると思い込んでいた君の突然の訃報に接し愕然とすると同時になんとも言えない寂しさが襲って来た。
京大口腔外科同時入局の青山、中川、佐藤君が既に他界しているのに、何故か君だけは特別に自分より先に居なくなる事は無いという思い込みがあって碌遠になってた事がなんとしても悔やまれる。同級生が自分も含めて何時亡くなっても不思議ではない年齢に達しているのだ。
君の存在は勿論在学時代から知っていたが、付き合いが始まったのは京大の口腔外科に入局してからである。医局の慰安行事としてのスキー旅行(牧野日帰り)の世話役を新入医局員がやらされる事になり、何れ劣らぬスポーツ音痴の我々が困惑して居る時スキー板や靴の調達など君が先頭になって何とかこなす事が出来た事で、その指導力に一目も二目も置くようになった。
一時が万事で、新人での初仕事として局所麻酔剤の検定をやる事になり、君が赴任していた滋賀県保健診療所の宿舎で実験を始めた。表面麻酔の効果判定にウサギを用いた角膜反射を利用するのに、生理学実権書に「馬の尾毛でウサギの角膜を刺激する」と記載されていた。馬の尾毛をどうやって入手するのか一同大いに悩んでいた所、君のアイデアで目の前にいるウサギの髭で代用してはということで一応論文を仕上げる事が出来た。このように君は実務的にも学問的にも我々の指導的存在であった。
また君はご尊父が芸術家(日本画)であった事も有り、絵画、音楽等芸術に造詣が深く、自然を愛し、よく滋賀の山や湖に誘われて散策したものであった。
更にスポーツの面でもゴルフを良くし、ホールインワンを達成したと聞く。ちなみに私も誘われて下手なゴルフをやるようになった。
やがて私は大学に残り君は開業、なんとなく付き合いが疎遠となったが君は私の心の中に畏友として留まるようになった。そして静かに消えてしまった。残された者にとっては寂しい限りだが君は開業医として成功を収め、ご子息は研究者の道(京大放射線生物研究センター准教授)へ進まれ、人間として独自の存在を確立された事を羨ましく思う。
やがて私がそちらに参った時には、今度こそ疎遠になる事無く親しくお付き合いをお願いしたいものです。
合掌
(古川哲夫 記)
加藤慶一君の思い出

加藤慶一君は愛知県岡崎市の商家の長男として出生、昭和25年大阪歯科大学に入学、予科A組に在籍、高校生時代ハンドボール部に属し歯大入学後もハンドボール部に属し、選手として活躍され当時大阪は関学と争う程の強いチームでした。
大学卒後名古屋大学付属病院歯科口腔外科に在籍後、三菱名古屋病院を経て昭和42年名古屋市工会議所歯科診療所ビルにて医院を開設、名古屋市歯科医師会専務理事に就任時、熱心に活躍されました。
今年10月3日入院中の病院で肺炎にて81歳で逝去され、開業歴45年間、これといった趣味も無く診療一筋、直前まで現役で診療を続け隠居生活を送る事もなく旅立たれました。
名古屋南ロータリークラブの会員でロータリアンとして畏闘され私とは同じ2760地区(愛知)大会等で良く会う事がありました。
平成22年に私がガバナーとなりその当時を振って励ましてくれたことを覚えております。
一新会同窓会に余り出席されない理由が解りました。数年前から耳が遠くなり充分に会話が出来なかった事を知りました。然し診療は逝去される少し前まで診療を続けておられたと聞いていました。
80歳まで立派に頑張り長男恭之先生が後を引き継ぎ尽力されておりますので何よりもと思っております。
人生は諸行無常であります。天上界に於いても安らかな旅となるよう急願して追悼の言葉とさせて頂きます。
合掌
(松前 静 記)