新谷宏道君との思い出
少し前に「時々顔を見ないが元気かい?」と電話をくれたのに。君は人一倍健康に気を付ける人だったのに、こんな思いが交錯して10月22日に突然の訃報に接した時は茫然自失の状態になりました。昭和41年に大歯を卒業後、広赤口腔外科に入り、その後も色んな所で研鑽を積み母校に対しても何れも貢献され、かつも傍振る舞を好み、気さくで温厚な人柄でした。
県歯の親睦野球大会やゴルフコンペ、ボウリング大会にも率先参加していました。県歯および仁和歯会には報委員もしていました。歯科医師会にとってはどんな事業にも欠かせない貴重な人材でした。趣味としての絵画は市内の有名な画家に師事してスケッチは皆の腕前でした。君と40年を超える付き合いで色んな事がありましたが、君の結婚式に招いてもらいながら上がってしまいうまくスピーチができず迷惑をかけた苦い思い出、白浜の「ホテル吉野の町」で県歯の親睦会があり、私の年代の車にレーマンシックに君を乗せて行きましたが、その帰路ブレーキが外れと効かなくなり整備場に行っても部品がなく修理不能となりました。やむを得ずサイドブレーキを握りしめて国道42号線を幾つもの峠を越えて湯ノ峰温泉ドライブをしました。明け方にやっと君の家に到着しましたが、君は緊張のあまり眠く車を降りる事が出来なかったね。そんな事があってから会う度に私の事を「典型的な次男坊やネー」と温和な笑顔で語っていましたが、もうその言葉も聞く事が出来ません。県内には10人の同窓生がいますがみんな君を失ってとても寂しい思いをしています。紅葉が色ごとに色濃くなり、何時にもまして寂しい晩秋となりました。これからはゆっくりと休んで好きだった絵を心ゆくまで画いて下さい。
君は同級生の中で一番ジェントルマンだったよ。
さようなら新谷君!心より御冥福をお祈り致します。
平成24年11月13日
(井上英夫 記)
木原道子さんを偲んで
「来てくれたん?何でそんな黒い服着て悲しそうな顔してんの…」
還暦から聞こえてきた言葉がそのままとして受け入れた時、ショックと悲しさが私の全身を貫きました。
平成24年11月半ば、愛するご家族を残し、道子さんはこの世を去りました。心不全でした。
道子さんの訃報を聞いた時、驚きと言うに尽きない気持ちで私の心はつ乱れ、呆然としてしまいました。
あなたと出会ったのは、今から50年以上も前のこと。進学時代のクラス代表として常に私達のリーダー的存在でした。
頭が良く、気転が利き、プラス思考で、ずば抜けた実行力を持ち、自分に正直で道に仁に人生を歩んでこられましたね。黒いスーツと品良い小紋がよく似合う貴女は、私達の心の中で今も明、料理の母、人生の楽しみ方等、多くの事を教えて下さいましたね。
あなたの生き方は私には羨ましく、憧れでもあり、けれど決して私には真似出来ない強さがありました。
進学時代、D組に女性は一人しか居ませんでしたね。スリーピー・ビューティーズごと自ら命名、“スリーピーティーズ”になるまで長生きしましょね!と約束したのに…、残念です。
卒業後は家族ぐるみでお付き合い下さり、我が家の雛まつり、あなたの喜び事のように祝って下さいましたね。嬉しかったわ!
仕事と家庭を笑顔と行動力とで両立させ、懸命に生きておられたあなたに昨年、最愛のご母堂を失うという、思いも寄らぬ悲しみ事が起き、残念で、無念で、さぞお辛かったことでしょう…。
一年経つた今、頬写真を剥がすように少しずつ、その辛さから元気な貴女を取り戻されつつあったのに…。
残念でなりません。
自分に恥ずず、思いきり正直に人生を全うされた道子さん
沢山の思い出を本当にありがとうございました。どうぞ、安らかにお眠り下さい。
合 掌
(松田佳子 記)
日髙晋典君を偲んで
今年の1月、岡山の岸本俊彦君より突然電話があり、日髙君から今年年賀状が届いているかとの連絡があり、私にも毎年来る年賀状が届いていなく、日髙君に何かが起きたのかと、自宅に連絡をとると、昨年の6月頃体調を崩し検査入院の結果すでに遅く医師より末期癌の宣告をうけ、手術することも出来ず、入院もせずに自宅で療養していることがわかり、急遽岸本君、京都の下村君、大阪の林君の4人でお見舞いに行った所、思いの外元気そうで、大学時代の懐かしい写真を見ながらの昔話に、久々の笑顔を取り戻し、非常に楽しそうであったと奥様から言われたのが大変印象的でありました。
日髙君は延命治療を望まず、不命を待つという強い意志に非常に複雑な気持ちになり、日髙君の心中を察することの上ない悲しみに見舞われました。日髙君との別れの際、今年一杯は生きることが出来たらどうか、との声が今も私の耳元から離れません。3月に再度のお見舞いを約束しておりましたところ、3月2日に奥さんより余りにも早い訃報を聞き只々愕然となりました。
日髙晋典君とは大学入学以来の長い親交を温めて来ましたが、もうこれからは電話での近況報告、酒席での談笑が出来ないと思うと、今迄の色々な思い出が走馬灯の様に頭の中を駆け回り残念でなりません。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
(大塚悠央 記)
なお、追悼文は届いた順に掲載させていただきます。
一方、福井県の長谷川勝君、和歌山県の林強弘君の旭日双光章受章、誠におめでとうございます。
寿報会には心のふれあいを大切にしております。それでは、次回の「集い」まで元気でおりましょう。
幹事