
大阪歯科大学18回卒業生(とわ会) 第42回総会・懇親会が、平成25年10月19日(土) 大阪リーガロイヤルホテル15階 皇家龍鳳「鴻宴の間」にて開催された。総会は午後5時30分より議長(金子君)により開会が宣され、学年同窓会長(近森君)より本部同窓会報告、次いで会務報告(北村君)が行われた。昨年の総会後この一年間に、田丸君、島田君、有元君、神田(矩) 君、池畑君の5名の同級生を失いました。総会に先立ち全員で冥福を祈り黙祷を捧げました。議事に入り平成24年度収支決算(矢追君)が上程され承認されました。また次年度開催は平成26年10月18日(土)に同じこの場所での開催が決定しました。記念写真の撮影の後、午後6時より懇親会が司会(重松君)のもと開宴され、ご来賓の大阪府歯科医師会副会長 岡本 学先生及び大阪歯科大学大阪府同窓会副会長 小泉 猛先生より祝辞をいただきました。乾杯は本日の紅一点の砂田さんより発せられ、中華料理を楽しみました。
今年度は余興に律軽三味線内田流師範を招き津軽三味線と民謡に酔いしれました。また恒例の同窓の各人の近況をそれぞれユニークにスピーチし、和やかに楽しいひと時を過ごしました。最後に閉会の挨拶(土居君)があり、これからも健康に留意し来年の再会を期して散会しました。二次会は地下のセラーバーにてカラオケルームを予約していましたが今年は誰もマイクは持たず、お酒と思い出話に花が咲き笑顔で終了しました。
(近森信人記)
相次いで逝った加藤雅久君、神田矩夫君を偲んで
私たちは、昭和39年4月に大阪歯科大学に入学した。3人が寄ったら、いつも思い出す「出来事」がある。3人が会えばその出来事をいつも思い出し「お互いにあれからが腐れ緑やな~」と言っていたものである。その出来事は、入学して間もない4月、お互いにまだ友達とはいうほどでない関係の中で、3人は名簿順に座席につき生物学の講義を受けていた時のことだ。私と加藤君が講義中に小言でしゃべったことが、先生の目にとまり「そこの3人!うるさい!」と注意を受けたことである。たしかに、加藤君と私は2人でしゃべっていたのは間違いないが、神田君は一言もしゃべってないのに「そこの3人!」と注意を受けたのが神田君にとっては残念で、ことあるごとに「あんたら2人のとばっちりを受けてえらい迷惑や!」と、卒業してからも会うごとに言いながら会合などで会えばまた、自然とお互いに隣り合わせに席を取っていたものである。私にとっては、そんな関係で集まればいつも横にいた良友が相次いで鬼籍入りした。まことに、残念極まりないできごとである。2人とも、相次いで病魔に侵され、ご家族の筆舌し難い献身的な看護、最新医療、薬石効なく加藤雅久君 平成24年8月28日逝去神田矩夫君 平成25年4月18日逝去まことに残念であり寂しい限りである。2人の各々の告別式に参列し、出棺前の棺の中の姿を見て「おい! どうしたんや!」と思わず声かけるも一返る言葉のない姿に何とも言えない無常を感じ、思わず「安らかにお眠り下さい。ご冥福をお祈りします」と花一輪を添えた。2人とも、卒業後間もなく、大志をもって歯科開業医として、地域歯科医療に専心誠意、歯科診療に日々過ごす傍ら、早くから地域歯科医師会の会務にも積極的に参画、精励し、人望厚く各種役員歴を重ね、実績が認められ若くして歯科医師会会長となり地域住民の歯科口腔保健向上に、はたまた、若い会員の指導にと奔走していた逞しい友として自慢できる人物であった。
2人の計報を相吹いで耳にした時の私の気持ちは、親を亡くした時とは違う何とも言えない寂しさを感じた。それは、学生時代にいつもいた僚友だからだろうと思う。卒業してからも、折にふれ会食をともにし、お互いに歯科界諸般のことを熱く語りながら夢を本音で語り合ったことが懐かしい。2人の限りないご冥福をお祈りするとともに、残されし最愛なるご家族を天国からいつも見守ってください。ご冥福をお祈りいたします。
合掌
(金森市造記)