「小事を断念できない人は大事を成就できない」
庚申会の皆様御元気ですか?元気がない方も居られると思いますが、卒業して三十三年の月日は、ある意味、環境に適するかどうかという生き方とは別に、その人その人の環境にあって、その人の人がその時その時、自分の心をどの様にコントロールしていったかという歴史でもあるといえるだろう。
それは、教科書にある歴史ではないけれど、この世に、この時代に生まれた人が、どういうふに生きてきたかという証でもあるとともに、それが原因となって近い将来、遠い将来どういう結果になっていくかということを意味するということなので はないだろうか。
アインシュタインは、因果律のことを量子論のボーアと対比して「神様はサイコロを振らない」という言句で一般の人に説明した。よくよく考えれば、極大の世界であろうと極小の世界であろうと、そのどちらもこの宇宙の中での「現象」の世界であるということに違いはない。それらをどう説明するかである。それを「科学」という言葉に明治時代の人が「サイエンス」という言葉を訳したのである。従って、「分からない」ことを追求している姿が「科学」であるといえる。
「医」の世界あるいは「生命科学」の世界では、最近に至って「心」を「実体」として取り扱おうとする学問(科学)もあるが、実際の生活では、「苦しい」とか「辛い」という心情は、その時その時の当事者が感じるものであるので、総じて言い表すことはできないのではないだろうか。
2011年3月11日午後、私は亡き妻の多発部リンパ腫の抗癌剤を主治医から受けていたのを昨日のように思い出す。当時、私は、リンパ腫については殆ど知見が無かったので、伊丹病院の血液内科に今を任せたと言っても過言ではない。抗がん剤そのものの歴史を紐解いても、それは「白血病」を治すために研究された歴史があるので、抗がん剤がリンパ腫、固形癌には特異的に効果することは、母の六ヶ月間の入院・病棟にてよく理解したし、現代医学の最高に良いところを見せてもらったと思った。しかし、一年後、神経症状がひとつ出ては消え、またひとつ出ては消え、を繰り返しているときに、この私でも十分な知見があったので、中枢への浸潤が察知できた。その専門医にはその時のOS中枢値は一ヶ月と記されていたのをよく覚えているが、しかし、加藤病院、伊丹病院の二〜三週間の検査入院の脊髄液検査その何れでの検査で陰性(−)と出たに反んで、主治医は「絶対に転移・浸潤はない」と言い切った時、私の方からすれば、すべて患者の方からすれば、「いい方をとる」という心に傾いていて、退院のことを考えていた。しかし、その日に点は愛しひた。その時のMRI・造影MRIの画像は、私でさえよく分かるものが写し出されていた。いろんなことが駆けめぐった。なにがあった「すべての延命」に○をつけておいたのに、その時「延命処置」をとわゆや、末の娘が到着するまで母に頑張ってもらった。ここで庚申会の皆さんに伝えたいことは、患者は「いい方をとる」ということでもある。ここは、どんなに説明してもそういう場面を経験しないと理解できないかもしれませんが、すべての場面でそれを得ておけば、いろんな事が前もって心の中で回避できるかもしれない。私はOS中枢値=一ヶ月のことを知って知ってながら、主治医にとっては「その他一」の患者であるということを忘れていた様に思われる。特に「血液内科」「神経内科」の世界、いやという程実体験したこの時ほど「歯科」と「医科」の間を悔やんだことはない。私が「歯」を選んだ原点を振り返るに及んで、かくも「歯」は「医」と乖離しているかと同窓会しみじみである。同窓会は「何かをしてもらう」団体ではない。「庚申会」は「出席」して「顔」を見合わせて、自分の存在を「自覚」し、「奮い起こす」ところである。そういうことを確認するわけだ。
一万人近い同窓生をもつ「大歯」の中にあって、毎年同窓会を開いているのは「庚申会」という一つの学年だけあると聞いている。「庚申会」の「庚申」はつまり、「目」と「耳」を意味する名でありますから、自分の眼の前に起こる様々な環境を直に、どういう「人」たちと得るかということであろう。
「神様は決して眼を閉じない」といわれています。「良心」に目覚めた人生を最後まで送りたいものである。
最後に「霊山詩」を一つ送りたい。
『天は高く高くして窮まらず』
天高不窮 地厚厚無極
動物在其中 憑慈造化力
争頭競腹暖 倚相覓嗜食
因果都未詳 皆冒聞乳臭
天は果てしなく高く、地は限りなく厚くて、実に天地は広大無辺である。総ての動物がその中に棲息しているが、それはひとえにこの天地造化の神通力による。動物たちは争って、飽食暖衣を求めるために、いろいろはかりごとを巡らして、互いに貪り食いあっている。誰も因果の道理をわきまえておらず、それはあたかも盲人が乳の色を解しなかった如くである。
注「盲見」:『涅槃経』十三の故事による
揚水閣香
(永谷 敏 記)