第54回七夕会総会開催

平成25年5月18日リーガロイヤルホテルにて開催されました。来賓は生駒等大阪歯科大学同窓会副会長、大塚俊裕大阪歯科大学大阪府同窓会専務理事を迎えて開会されました。今回は大阪七夕会との合同開催となり各会より
の来賓の参加を得ました。会員37名、来賓2名と、総計39名で先ずは賑やかに総会は始まりました。

最初に大阪七夕会総会を瀬尾利臣君の司会で議長は寺野福男君と例年の如く始まり、和やかに締めくくり、全国七夕会総会に移行しました。今回特筆すべき事は、長年、会計を担当してくれていた後藤基成君が急病の為、急 会計報告を藤本宣文会長が行った事でした。藤本会長の事業報告に続いて会計報告を会長が続いて行い、中田親良君の監事報告に続いて議案審議に入り七夕会を存続させて、来年の55回総会を大阪で開催する事を決定しました。次いで安田英幸君の閉会の挨拶で締めくくりました。

写真撮影の後、懇親会に移り宮井の開会の挨拶で命の大切さとはかなさを感じ、今を元気で楽しもうと、来年の総会にも元気な顔を見せてほしいと願いました。生駒副会長よりの挨拶で三谷卓会長が香川県支部の同窓会に行っておられ、会の重複の為、生駒先生に代理出席を願われた次第と七夕会の隆盛と総会の盛会を願われました。大塚専務の乾杯で賑やかな懇親会が始まりました。宴会も楽しさを噛み締めながらお互いの無事を確かめつつお開きと成りました。会員の年齢も80の前後に差しかかり、計報も増え今回は平成24年以降12名を数えました、平成25年10月現在の記録では総計70名(本人)と成りました。

本人
長谷川真澄 平成24年2月18日 京都伏見
村田茂 平成24年2月28日 三重県
舟津保男 平成24年5月17日 岡山倉敷
池 泉夫 平成24年5月25日 大阪和泉
沢田 稔 平成24年6月4日 大阪市
山村 利貞 平成24年6月20日 大阪吹田
加藤正夫 平成24年11月22日 大阪市
菊池 昌男 平成25年1月28日 京都市
大西 重内 平成25年3月1日 大阪吹田
松山 茂 平成25年4月8日 京都福知山
後藤基成 平成25年5月30日 大阪市
寺田明 平成25年7月15日 大阪守口

家族
加藤正夫(妻) 平成24年2月17日 大阪市
木下幸子(夫) 平成24年3月20日 神戸市
森田 知生(長男) 平成25年5月14日 岡山市

平成25年10月26日現在となっております。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

永年会計でお世話戴いた後藤基成君は5月18日の総会時には重体ながら加療中でしたが、その後お見舞いに参じましたところ、顔全体が人工呼吸の酸素マスクに覆われ危篤状態でした。この様な時に会計の事をご家族に色々御願いし、ご長男(大阪歯科大学助教)には大変ご協力戴きまして、事無きを得ました。総会後12日目の5月30日に帰らぬ人と成られましたが銀行封鎖の為、危なく総ての会費を引き出せなくなる所でした。この間、ご家族に不愉快な思いをお掛けした事を深くお詫び申し上げます。又後藤君の奥様も現在入院中で度重なる困難に、ご家族のご苦労も察して余りある現状をご理解戴きたいと思います。入院中鳥取から亀山君が見舞いに駆けつけた時
には酸素吸入の為、話は出来なかったが意識は有り一方的では有るが意志の疎通は出来たとのことでした。葬儀には彼も出席して、弔辞を読んでくれました。彼から追悼文をもらっているので掲載させて戴きます。

(宮井 茂人記)

後藤基成君を偲んで

後藤基成君は平成25年5月14日病院に診察を受けにご子息と行く途中、急に倒れてその場でご子息(大阪歯科大学助教)が応急処置後、都島の大阪市立総合医療センターに緊急入院されたと鳥取の私のところにご子息から連絡が入りました。約40年位前から心臓病を患い弁膜弁手術を大阪医科大学で受け、以後同大学で通院加療中であったのですが、平成25年5月14日に倒れて入院され今は酸素吸入の状態であるとの事でした。早速、小林秀行君にもと連絡しましたが、電話も繋がらない状態でしたので、私が5月24日に病院に見舞いの為、大阪へ向かいました。後藤君は、口や鼻に酸素マスクをしていて話が出来なかったが、しっかりと目を開き私を見てくれました。私も強く彼の手を握りますと嬉しそうな表情をしてくれました。意志の強さを感じましたので私は帰りましたが。5月30日に彼が亡くなったとご子息から知らせが有りました。早過ぎた別れでした。告別式は6月2日彼のマンションの集会場で行われ、私と宮井茂人君が参列しました。後藤君はご存じのとおり優しい善人でした、誰からも愛されました、優しい性格であった為、色々な苦労も有ったようですが、いつも変わらぬ人柄で私達に接してくれました。そして長男さんも優秀で大阪歯科大学口腔外科助教に成っておられます。奥様は体調を崩されて入院加療中なので心重くしておられ「いつも、診療から帰ると家に誰も居なく、非常に寂しい思いをしているから妻は大事にしなくては成らない」と、いつも教えてくれました。その時、我にかえって、私は妻に対してどうかなと、よく考えさせられました。最後に、七夕会の長きにわたる会計担当を務めてくれましたことを感謝し上げます。人の後先は判らぬとはいえ、無情と寂しさをひしひしと感じる今日この頃です。どうか後藤君、安らかにお眠り下さい。さようなら

(穐山 幸彦記)