甘利光治君を偲ぶ

それぞれの立場で活躍した十二支会のメンバーがまたひとり旅立ちました。卒直後から続いている旧D組のクラス会、すなわち「Dト会」が昨年11月2日、3日ヒルトン大阪で開催されました。初日はホテルでの夕食会に始まり、和気藹々の雰囲気のなか各自の近況を語り合い、翌日は水上バス・アクアライナーで晩秋の大川沿いを観光したのちホテルに戻って昼食を摂りました。その最中Dート会の一員である甘利光治君急逝の報が奥様からあり、その場は一変して深い悲しみの扉に閉ざされたのでした。昭和39年4月卒業後甘利君は母校の補綴学第二講座大学院へ、私は矯正学講座へ入局、道は違っても同クラスのよしみでお互いに励まし合う仲でした。そして彼は昭和46年4月に講師、54年5月には助教授ととんとん拍子に出世し、54年11月に40台前半で松本歯科大学歯科補綴学第二講座教授に就任しました。平成19年3月退職まで実に24年間教授として教鞭を執るとともに衛生学院長、病院長などの要職を務めることにより歯科医学発展のために大いに貢献したのでした。もう20年も前になりますが、平成6年6月に日本歯科医師会主催の生涯研修セミナーの講師として大阪府歯科医師会へ来会、大変含蓄深い講演をしてくれたことを思い出します。その際久しぶりにゆっくり話す機会があり、共通の趣味である
釣りのこと、健康管理のこと、若き日の医局での苦労話など熱く語り合ったことを今も鮮明に憶えております。
私ども十二支会は今年7月26日に卒業50周年記念同窓会を予定しておりますが、その時には久々彼と会えることを楽しみにしておりましたのに、それも適えず誠に残念に思います。奥様の弁によりますと「何事にも筋を通し、曲がったことの嫌いな人で、家族全員が主人を頼ってやって来ました」とのことでした。彼の教えに従ってご子息は大阪市西区で立派に開業され、お嬢様も歯科医として歯科医のご主人共々歯科医業の道を歩んでおられます。威風堂々の貫録ある物腰、そして眠たそうな優しい眼差しで人を和ませるゆったりとした話しぶりを今も懐かしく思い出します。好漢甘利光治君のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌