琴賀岡敬君を偲んで

9月24日、連休が終わり、今日からまた長い1週間が始まろうとした早朝、1通のFAXが舞い込んだ。以前住んでいたところでお世話になった方からだった。家内が最初に読んで顔色が変わった。文面は、琴賀岡先生がお亡くなりになりました。至急連絡ください、とあった。何が何だか分からずとりあえず電話を入れると、「琴賀岡先生が亡くなってしもた。先生今晩うちに寄ってください。」と言われた。その後、坂東茂先生に電話をさせてもらい、彼も言葉を失っていました。
琴賀岡君とは大学一年の時、たまたま同じクラスで、実家も大阪市内、彼は平野区、私は住吉区で近くよく御一緒させていただきました。アルバイトを紹介していただいたり、中古で購入したすごく重心の低い車に乗せてもらいました。また現在、歯科保存学講座教授山本一世先生と三人で、夜遅くまでいろいろ話は尽くことはありませんでした。国家試験の勉強のときも彼は口腔外科学第2講座に残られるため口腔外科学担当、山本先生は歯科保存学に残られるので歯科保存学担当、私は歯科補綴学第3講座(現在の欠損歯列補綴咬合学講座)でお世話にる予定でしたので歯科補綴学を担当させていただき、お互い色々教えていただきました。卒後、大学でも患者様を依頼したり、されたりとお互い良い刺激を与えていただきました。
彼が開業された後、今から10年以上前にもなりますが、まだまだレーザーが普及していない頃、Er:YAG レーザーも一緒に購入させてもらい、その時も同窓の永井茂之先生から一緒にいろいろと教えていただきました。日頃も何かあるごとに夜電話があり(お昼は坂東先生に電話されておられたことを先日お聞きしましたが) 臨床、経営、雇用問題、ご家族のこと、歯科医療業界のこと、TPP問題などと話は尽きることはありませんでした。当院にもよく遊びに来られ、差し入れをいただいたり従業員ともども可愛がっていただきました。あまりにも多くのことが先生とありすぎていまだにこの現実を我が家、いや当院のスタッフまでも受け入れることができず無情に時が流れております。いまでも夜電話が鳴ると「琴やんかなー」とか、何かあるごとに琴賀岡先生だったらこう言うなあ、と会話が始まることも少なくない日々を過ごしております。彼としてはまだまだやり残したことがあったに違いないと思います。しかし今はもう何も考えず何の心配もせず心置きなく安らかにお眠りください。
合掌
(豊田浩行 記)