かいつぶりレガッタ4年ぶり優勝

平成23年10月2日(日)快晴の中、滋賀県立琵琶湖漕艇場で「第10回かいつぶりレガッタ」が開催された。距離は300m。松 会は男子マスターズの部(45歳以上)、一般の部、ビギナーズミックスの部2艇の計4艇出漕した。一般の部に林先生(大31)、中林先生(大35)、北野先生(大38)、矢野先生(大39)、ビギナーズミックスの部に矢野歯科の「スタッフ」の皆さま、そして男子マスターズの部に松本先生(大29)、大分県の辛島先生(大30)、本学放射線科講師の四井先生(大31)、山本洋一(大32) で出漕した。今年も中野先生(大36) が昼ご飯を作りに来てくれた。

今年の男子マスターズの部は予選1回戦、2回戦で2回漕ぎ、合計タイムの上位6クルーが午後の決勝に進む。昨年は「東レ滋賀OB」 「膳所高OB」と3つどもえのレースとなり残念ながら3位だった。「東レ滋賀」はご存じ何十年も日本の漕艇会を牽引している名門チーム。「膳所高」は地元の名門で多数関東の大学に進学し戦っている。今年の出場クルーをみると上記の2クルーがまた出漕し、5年前に優勝した「名古屋大OB」も出ている。あとのクルーはたぶんそんなに早くないが、例年名も知らず急に早いクルーが出るので要注意。

午前まず1回戦、同じ組に「東レ滋賀OB」「名大OB」が入る。船台より蹴りだし、スタート地点までの練習はスタート・コンスタント1本の1回のみ。予選1回戦スタート、「東レ滋賀OB」と並ぶ。コンスタントで徐々に離され1.5秒差の2位。「名大OB」は少し遅そうだ。別の組の「膳所高OB」はタイムがあまり伸びていない。1回戦を終わって「東レ滋賀OB」に次いで2位。まあまあだ。四井先生はレース後へばりまくって寝ている。

続いて2回戦。スタートは「東レ滋賀OB」を半艇身リード、コンスタントで徐々に追いつかれラスト50mで「東レ滋賀OB」はスパート。こちらは松本クルーキャプテンの判断で、あえてピッチを上げず最後は流す。半艇身の差の2位。わざと2位狙いにしたのは、決勝は予選1位が4レーン、2位が沖側5レーン、3位が岸側3レーンで決まっている。当日は流れが速いので沖側のレーンの方が少しでも有利だ。2位の方が走りやすい。ところが別の組の「膳所高OB」が2回戦に驚異的なタイムを出して上がってきた。結局予選1位「東レ滋賀OB」、2位「膳所高OB」、3位「大歯大松 会A」となり、決勝は岸側3レーンで漕ぐことになってしまった。予選タイムでみると1位
~3位は2秒以内である。午後決勝。予選上位6 クルーが進出。船台より蹴りだし、練習はしない。ゆっくりノーワークでスタート地点に向かう。余分なエネルギーは使わない。他のクルーはスタート練習をしている。3レーン「大歯大松籍会A」、4レーン「東レ滋賀OB」、5レーン「膳所高OB」、他の3艇は遅いと思う。去年と全く同じ3つどもえのレースになりそう。作戦はスタートで出て逃げ切るだけ。多分ラストスパートを入れる余力はないだろう。コンスタントで行けるところまで行く。いよいよ決勝がスタート。半艇身差でトップ。徐々に「東レ滋賀OB」、「膳所高OB」が追いついてくる。150mで少し出られる。ラスト100mで3艇横一線。現役諸君の「大歯ファイト」という声は聞こえるが、見る余裕はない。1ストロークごとに出たり、出られたり。そのまま団子のままゴール。どこが勝ったか誰もわからない。ヘトヘトのまま船台へ戻る。配艇の学生は「すごいレースでしたね」と言ってくれた。「どこが勝ったかな?」と聞いても「わからないですね。3艇横一線でしたね」と言う。本部へ戻りレース結果を待つ。何分かして「男子マスターズの部、1位大歯大松 会A」というアナウンスがあり、思わず飛び上がって喜んでしまった。結果は、1位「大歯大松 会A」 1’04′03、2位「膳所高OB」 1′04′08、3位「東レ滋賀OB」1’04′13.2位と5/100秒差、3位と11/100秒差というまれにみる接戦だった。「かいつぶりレガッタ」には第2回から参加し、漕艇部松 会は過去2回優勝している。しかしずっと世話役をしている私には優勝経験がなく万年2位か3位に甘んじてきた。ずっと叱咤激励をして頂いた諸先輩方、一緒に参加してくれる同輩後輩、いつも参加してくれる矢野歯科のスタッフの皆様、ボートのことならいつも機嫌良く送り出してくれる家族、漕がないのに昼ご飯を作りに来てくれる中野先生、そして主将の中村君(4回生)、COXの小田君(2回生)をはじめ一日中私達をサポートしてくれる学生現役諸君、ありがとうございました。苦節9年、初めて頂点に立つことができました。「なでしこ Japan」じゃないけど、「あきらめなければ夢はかなう」です。まして現役時代よりの宿敵 「東レ滋賀」に勝って優勝し、私にとって最良の日となりました。

(大32回 山本洋一 記)