クラス会・OB会だより

大1〜大10

平成26年度 大1 一黎会

平成25年度一黎会総会報告

平成25年度総会は10月14日大歯大14階のプラザフォーティーンにて正午より開催。出席は掲載写真右より、上田、有地、吉井、門奈、藤井、古田、山田、押鐘の8名で、簡単な年間の経過報告と今後の予定について代表幹事の有地より説明があり、その後会食、歓談し2時過ぎ散会。総会案内に返信のあったのは下記の21通で敬
称略で原文のまま転載します。

伊藤多右衛門:欠席 不要
平素は大変お世話になりまして有難うございます。病院に入院しております。皆様によろしくお伝えください。

岩橋成泰:欠席 不要
いつもお世話になります。病気(copd) により在宅で療養中ですので欠席させていただきます。出席の皆様によろしく。

上田 豊久:出席  要 
去る8月に両眼白内障手術を受け良く見える様になり、少しだけ仕事をしています。いつもお世話になります。

大谷歓男:欠席 不要
進行性核上性麻痺にて療養中です。

岡村 昭幸:欠席 要
出席したいと思いますが体調不良のため欠席させていただきます。

押鐘 裕:出席 要
90歳を越え年相応の物忘れと、足腰が少し弱りましたが、元気に過ごしております。

重内 宏敏:欠席
私もやっばり各関節を痛め運動不足を少しも柔げようと歩行したり、スポーツジムへ行ったりしましたが、10日前転倒して頭に7針も縫合しました。このままではその日迄に大阪へははとても…、皆様によろしく。

瀧井 燈夫:欠席
とりあえず要とさせて頂きます。いつも御丁寧にお通知を戴き感謝致して居ます。昨年末、左脚靭帯を損傷し目下療養に専念しております。諸兄によろしくお伝えください。

武田正視: 先日は電話有難う御座いました。クラス会ではお世話になっております。もう一年近くなるのですね。例年にない暑さにかなり参っています。6月末国際ロータリーの大会でポルトガルとスペインに行きました。連日37.5度前後でしたがあまり暑苦しいという感じはなかったです。10月の会は今のところ予定がはっきりしませんので9月中にお返事致します。

寺村 千秋:欠席 要
今年の初めに体調を壊しました。現在は仕事を少しずつ始めていますが今回は残念ですが欠席いたします。又案内をください。

西原 盈実:欠席 要
今年の夏は異常に暑く10日が近いのに30度を超える日が続いています。私も少し夏バテですが何とか生きています。有地先生のお元気と会運営の熱意にはただ頭が下がります。今後も御身体に気をつけられ頑張ってください。

濱田 : 関節が少し悪いですが元気に過ごして居ます。所要のため欠席させていただきます。

藤井 辨次:出席 要
昨年10月手術を経験し漸く一年が経ちました。60周年で皆様にお会いできることを楽しみにしています。

古田 光行:出席

細見 義一:欠席させて頂きます 不要です
父は身体的に足腰も弱り長く歩くことができません。食欲等はありこの暑さの中でもしっかり食事はしてくれるのですが、認知症の方が進んでおります。今までありがとうございました。

三谷博:欠席 要
昨年8月胃潰 、12月右眼底出血の手術・昨今漸く落ち着いて居ます。それを機に仕事の方は息子に譲って隠居しています。体調は良好ではありませんが何とか一日一日を送り迎えしております。いつも丁重なる案内を戴き有難うございます。出席の皆様によろしく。御自愛の程祈って居ります。

門奈丈石:出席 要
肉腫の手術後一年を無事経過し年並みの働きながら午前中は診療しています。

山田 旺:出席 要
一黎会の御世話をして頂いている有地君に有難く謝意を表したいと思います。卒業60年の記念すべき総会に感謝しながら是非出席致したい。

山村 満:欠席 要
有地先生いつも幹事ご苦労様です。私は30年来の糖尿病と大腸癌の自宅療養の毎日です。自分の足で歩いて何でも出来るので不自由はないのですが遠くへは出られません。従って欠席ですが皆様の様子が知りたいので連絡は要にして下さい。

山本 直哉:欠席
足の不自由以外は元気です。皆様の御平安を祈ります。御連絡深謝。なお私・有地は頭の方は内外共に薄くなりましたが、おかげ様で体の方は血圧血糖値その他も概ね正常値で至極元気に過ごして居ます。平成25年12月29日、伊藤多右衛門君が、又同31日、岡村昭幸君が逝去されました。謹んで両君の御冥福をお祈り致します。

(有地正記)

平成27年度 大2

大学2回卒業生諸君

我等、大学2回卒業生の幹事だった池田辰二君の急逝で、思い掛けなく急 、幹事を引き継いだ後も物故者が相次ぎ、暗澹たる思いでしたが、早や3年が経過しました。今年は生存者に変わりなく、安堵しています。私が幹事になってから、クラス会の会場と開催日と時間は、毎年10月10日の正午と決め、会場も大阪・天満橋の京阪シティモール8階の「美濃吉」。残存会費有効消化で会費は無料です。今回の出席者は、写真後列左から敬称略で、吉田欣也、西田真和、山本茂樹、吉岡済、川村幸雄、庄司幸雄、白數毅、前列左から、梅谷元一、清水謙、宮脇恭三、岡本泰三の諸君です。我等、大学2回生が誇るべき、国家試験受験全員合格100%の快挙樹立後にタイ記録がなく、大阪歯科大学校友会史に空前絶後の、燦然たる快記録として記載、後世末代に永く語り継がれるでしょう。それにしても当日、故・日下一知君<旧制第六 高等学校出身の秀才>がなかなか試験場に現れず、全員やきもきのさなかに、やっと悠然と登場し、皆をホッとさせるエピソードも忘れられない。後日談で前夜に飲酒して、二日酔いでの寝坊とか。当時、歯科医師が社会的に僅少で、試験制度が受験生に有利だったかもしれないが、そう簡単に歯科医師が増加するわけでもないから、時代相応の記録と思う。思えば我等、好漢・碩学のクラスメイトの多くを失う。残りたる者の充実の余生長寿と、健康維持管理を心から願う。
2015年10月26日

(白數毅 記)

平成26年度 大3 三輪会

第60回三輪会総会ならびに懇親会は平成26年9月28日(日)正午より、大阪歯科大学付属病院14階の『レストランプラザ14』において開催しました。まず出席者の集合写頁撮影を行った後、総会場の楕円形のテーブル席に全員が着席しました。昨年度の総会以後に逝去された西嶋克巳君、岩本助幸君2名の霊に対し黙祷を捧げご冥福をお祈り致しました。

次いで、総会議事に入り、可兒瑞夫クラス代表から会務報告が行われました。現在、大阪歯科大学同窓会の全会員数は7195名であること、三輪会会員数は68名であることの報告がありました。続いて会計報告は高田静治監事による会計監査報告が行われ、全員一致の賛同を得ました。

次に、今後の運営方針について協議の上、三輪会は本日の60周年の還暦記念の会をもって祝賀会を終え、いったん休憩し、次回は3年後から新たに大学3回卒の『三輪会』の名称で会を継続して進める事に決定しました。
この三輪会の名称は吾々が昭和30年(1955)大阪歯科大学卒業当時に白数学長に命名頂いた實重な会の名称であることを再確認しました。

次に懇親会は清村寛君の乾杯の発声により祝宴に入りました。懇親会では60周年の会を記念して色紙に出席者全員のサインを致しました。また、出席者全員が卒後60年間のいろいろの話題を賑やかに語らい時間のたつのも忘れ楽しく過ごしました。最後に60周年記念の会の打ち上げにあたり今後の三輪会の発展を誓い石田尚君のエールに続き全員で声高らかに大阪歯科大学学歌の斉I昌の後、全員の健康と長寿を祈念して万歳三唱の上、閉会しました。

今回の三輪会60周年の出席者は、石田尚、今西正雄、金村浩利、可兒瑞夫夫妻、河野節夫妻、清村寛、斉藤精司、坂本和夫、里井裕、高田静治、藤原一成、藤原仁、松岡功、鶯尾昌彦の計16名でした。(敬称略)

(可兒瑞夫記)

平成26年度 大3 三輪会

三輪会便り

第59回三輪会総会ならびに懇親会は平成25年10月27日(日)に大阪歯科大学付属病院14階の『レストラン・プラザフォーティーン』において開催されました。まず、正午に会場において全員の集合写真を撮った後、第59回三輪会総会を開催致しました。

総会は可兒クラス会代表の司会で開会し、昨年度の総会以後に逝去された森正人、大山博、吉田洋子、高橋清、以上4名の会員の霊に対して黙祷を捧げました。会務報告では、本年9月28日に行われた大阪歯科大学同窓会理事・支部長・クラス会代表合同会議の報告から、全国同窓会の全会員数は現在7,207名であること、また、新年度より5、6年生の教育の場として稼動する創立100周年記念館が完成したことの報告がありました。現在われわれ三輪会の会員数は72名、本年度の出席会員は18名、うち配偶者同伴が2組ありました。次いで会計報告の後、会計監査報告が監事の高田静治君から行われ全員一致で承認されました。

次に会長の挨拶に続いて、河野節君の司会により懇親会に移りました。今回は、出席の皆から自由に80歳辺りの近況の披露があり、和気藹々のうちに、楽しい時間を過すことが出来ました。来年は卒業後60年の記念の年になります。来年はこの記念すべき60周年の記念の会には多くの三輪会会員の参加により盛会を期待しつつ、河
野君の閉会の挨拶により解散しました。今回の出席者は、石田尚、今西正雄、岡本欣一、金村浩利、可兒瑞夫夫妻、河野節夫妻、斉藤精司、坂本和夫、坂本茂樹、里井裕、高田静治、田口房蔵、多田俊男、藤原一成、藤原仁、松岡功、森田和夫、湯川昭吾の計20名(敬称略)でした。

(可兒瑞夫 記)

平成25年度 大3 三輪会

第58回三輪会総会ならびに懇親会

第58回三輪会総会ならびに懇親会は平成24年11月25日(日)正午より、大阪歯科大学附属病院14階の『レストラン・プラザフォーティーン』において開催されました。
正午に附属病院1階のロビーで全員の集合写真を撮った後、14階の会場に戻り、第58回三輪会総会を開催しました。

総会は可児クラス会代表の司会で開会し、まず、昨年度の総会以後に逝去された、松本一、三上宏、徳山修、増田民幸、以上4名の霊に対して黙祷を捧げました。
会務報告ではまず、本年8月11日に行われた大阪歯科大学同窓会理事・支部長・クラス会代表合同会議で、全国同窓会の会員数は現在7,404名であること、また、平成24年春の叙勲で、三輪会の嘉ノ海昭吾君が旭日双光章を受章されたことが報告されました。
現在の三輪会会員数は75名、本年度の出席会員は19名、うち配偶者同伴が3組ありました。
次いで会計報告の後、会計監査報告が監事の高田静治君から行われ全員一致で承認されました。
次に会長の挨拶に続いて、河野節君の司会による懇親会に移りました。

今回は、出席の皆から自由に80歳辺りの近況の披露があり、和気藹々のうちに、楽しい時間を過ごすことが出来ました。閉会予定の時間になり河野君の閉会の挨拶で来年の再会を約して解散しました。

今回の出席者は、石田尚、今西正雄、可児瑞夫夫妻、嘉ノ海昭吾、河野節夫妻、清村寛、黒田哲、坂本和夫、坂本茂樹、里井裕、鷲見和恒夫妻、高田静治、多田俊夫、多田奈良司、藤原一成、藤原仁、松岡功、森田和夫、山中孝昭(敬称略)の計22名でした。

(可児瑞夫 記)

平成28年度 大4 一新会

一新会卒後60周年記念同窓会 於 ミキコサロン 平成28年11月10日

一新会の皆様こんにちは。昨年の10月に森岡君よりクラス代表のバトンタッチを致しまして初めての同窓会を迎えました。今年は大学卒後60周年で記念同窓会と今迄の歴代代表者、故山脇君、小郷君、末廣君、森岡君の慰労会も兼ねて、平成28年11月10日大阪駅前第一ビル内ミキコサロンで近藤君のお世話で開催致しました。このミキコサロンは雰囲気がとてもよく、また料理も大変好評で皆様に満足して頂け
たのではないかと思っております。出席者は17名でみんな元気に和気藹々のうちに楽しい一時を過ごすことが出来ました。私達卒業当時は100名でしたが、現在は37名(連絡のとれる者)でそのうち同窓会に出席可能者は20名前後といったところです。年々出席者も減って参りますが少しでも長く現状維持で同窓
会を続けたいと思いますので、協力のほどよろしくお願い致します。

長寿の秘訣は、1.することがあること 2.行くところがあること 3.友人がいること

これからも皆様の友情が深められる同窓会にしたいと思います。なお、この度、田村宏君のご子息の田村功先生が大阪歯科大学の口腔解剖学主任教授に就任されました。誠におめでとうございます。

また、この一年間の物故者は、

磯遊 賢三 平成27年12月1日
渡辺祥 平成28年1月1日
濱口博 平成28年6月20日
小川清 平成28年8月11日
吉田弘 平成28年9月4日
堀一雄 平成28年10月20日

以上の6名です。

御冥福をお祈り致します。では皆様また会う日までご機嫌よう。


(増田 亨記)

平成27年度 大4 一新会

紅葉の候10月17日、14名の参加で和やかな同窓会が出来ました。懇親会では久しぶりに対面される方もおられ和気藹々、時間を忘れる程夫々の方が楽しんでおられました。同級生全員が83歳を過ぎれば身体の何処かに異状があっても不思議ではなく、特に歩行困難の方々が多くおられ欠席されました。私も年齢には勝てず故障が多くなって来ましたので、今期限りで退任させて頂きました。後任に総会審議で増田亨君が次期クラス代表に選ばれた事を報告します。今後、私に注いで頂いた以上に増田君にご協力をお願い致します。永らく私に注いで頂いたご協力有難うございます。書面をもってお礼致します。

(前一新会代表 森岡 慧記)

平成27年度 大4 一新会

昨年11月12日、新大阪にあるニュー大阪ホテルにて同窓会を開催。現在在籍46名中16名の方が出席し「欠席」と返信された方の近況報告によれば「なんとなく元気がない」とか「病気療養中」とか「歩行困難」とか82歳を越えるとあちらこちら故障が出て来るのが普通の状態の年齢になりました。同窓会の司会、議長村田君を選出、まず物故会員慰霊黙藤し(故中山美知子様、故中坪生次君)、総会に入り、私がクラス代表を務めてから15年、そろそろ限界だと思いますので「今後の同窓会と次期クラス代表」を昨年の総会に議題として上程しましたが結論が出ず、2年後卒業して60年を迎えますのでそれまで努めさせて頂き、その後、皆様と再相談して善処したいと思っております。総会終了後、写真撮影、和やかな懇親会と進み同窓会を閉会しました。後2年間、微弱ながらクラス代表を務めさせて頂きますが、今後共宜しくご協力お願い致します。

(森岡 慧 記)

平成25年度 大4 一新会

今年の夏は例年に無い猛暑が続き体調管理に大変だったと思います。10月に入ればとの期待も裏切る様な真夏日の中、平成25年10月10日大歯附属病院内レストランプラザ14に於いて一新会総会・懇親会を開催、総会は開会の言葉の後、昨年の総会以後に亡くなられた加藤慶一君、天方孝彦君、井倉宗弥太君、山本 浩君を含めこれまでの物故者50名の方々に黙祷を捧げご冥福をお祈りしました。

総会時 森岡会長挨拶

今日は。招かざる24号台風を心配しておりましたが、大変心地良い日を迎える事が出来ました。現在会員数44名中23名が出席です。本日、10月10日は49年前東京でオリンピックが開催された日です。又、7年後に東京で開催する事が決まりました。何時の時代になっても「温故知新」 即ち古きを志向し新しい知識や道理を見つめる事が大事だと思います。私達は昭和25年120名が入学、2年後100名が学部に進級、昭和31年卒業、その後今日迄の同窓会の継続は歴代会長、会計小川君の努力、又、皆様の協力があってこそ、開催が出来たと思っております。今後、同窓会を継続するか、解散してはと云う声もあり来年の同窓会で検討します。本日久しぶりに遠方から参加された磯遊君、常連の東海地区の松前、大塩、丹羽の3名、紀州南端より参加された尾崎君、ご苦労様です。素辞でしたが終わります。

会務報告 (出欠ハガキに寄せられた近況)

河合君 腰痛で泣いてます。
松前君 妻久子逝去の為歯科医業を止めました。長男が松前内科医院と看護、介護老人ホーム医療法人愛礼を開業。
小川君 涼しくなり体調も良くなり多分出席。
大塚君 ショートタイムながら働く事に感謝です。
直田君 現在高血圧と関節痛の持病あり週1回の診療と詩吟は継続中。
丹羽さん 今年の暑さで私も“駄目か”と、どうにか乗り切りました。感謝、感謝です。
梅村君 皆にお会出来る事を楽しみにしています。
松山君 鼠径ヘルニヤが治り歩行可能となりました。
磯遊君 詳しい名簿の送付に感謝、感激です。人生最後のつもりで出席します。
佐藤君 昨年5月硬膜下血腫の2回の手術以来1歩1歩快復に向っております。歩行訓練中。
末廣君 八十路の坂道を皆様頑張って居られる由、再会を楽しみにしております。
益弘君 10、11日はゴルフ旅行中、エレクトーンのレッスンも20年、楽しんでおります。
森本君 2年前心臓バイパス手術を受け今は静養中です。
堀君 体調不良の為欠席します。
村上君 家内が施設に入居、夕方の食事の介助と世話で大変です。今回は欠席です。
松本君 同封資料拝見、感慨深いものがあります。今回は遠出していますので欠席します。
英君 病気療養中にて欠席します。皆様に宜し く。
矢野君 元気で仕事しています。足に自信が無いので欠席します。
岩堀君 元気ですが薬の量が増えて来ました。
渡辺弘君 82歳の誕生を健康で迎えました。在籍者、物故者の名簿を送付に感謝。
岡田君 足の動脈硬化の為長い歩行は無理です。欠席します。
古市君 ご連絡に感謝、今後共宜しく。
秋田君 腰痛に泣いております。マッサージを続けておりますが余り効果なし。現状維持が精一杯です。
渡辺祥君 毎々の連絡に感謝。相変わらずの出不精です。一切の会合に欠席です。
濱口君 1月に体調を崩し廃院しました。
近藤君 外出の自信が無いので欠席します。
嶋村君 最近発作性心房になり体調のコントロールがままならず欠席します。
寺内君 健康状態が良くないので無理をしない様にしております。残念ですが欠席します。

懇親会 森岡会長挨拶

本日は100周年記念館見学を兼ねて同窓会(総会、懇親会)を開催するにあたり、川添理事長・学長、三谷同窓会長お二人をお招きしたところ心良く引受けて頂き有難うございました。記念館見学は同窓会参加者23名中18名が事務職員の案内で見学、立派な建物にびっくりしました。我々の時代とは大違い、此の様な所で学習する事は幸せだなと思います。話は変わりますが、幾つになっても「温故知新」今日は古きを懐古して頂き、残り少ない人生を志向しお互いに体に気をつけ下さい。本日は久し振りにご来賓のご出席を頂き有難う御座いました。

続いて乾杯に入り遠く島根より参加された磯遊君の音頭で懇親会がスタートし、和やかな雰囲気のなか時間の経つのを忘れ楽しく過ごし、来年再会する事を楽しみにして閉会しました。

(村田 安充記)

平成25年度 大4 一新会

皆さんお元気でお過ごしでしょうか。
平成24年11月8日、大阪歯科大学付属病院食堂(14F)にて一新会総会を開催。当日は現在籍45名中21名の方が参加、卒後50余年全員が傘寿を超える現状の中での出席者の減少はやむなきでしょう。総会は末廣君の開会の辞で始まりました。

森岡会長挨拶は次の通りです。
昨年の4月にクラス会を開催、それから1年7ヶ月が過ぎました。その間色々な事があったと思います。欠席された方の中には体調不良の方が多くおられます。私たち80歳を超え後期高齢者と思わず石原前知事も同年齢80歳にして国を憂い “かっこ悪い老人” とか “暴走老人” とか言われましたがこれからもう一度頑張るようです。
私達も負けずに頑張っていこうではありませんか。本日の会場のこの天満学舎付近もすっかり変貌し昔のイメージはありません。色々と昔を思い浮かべ乍ら今日は学生時代に戻った気持ちで楽しい一時を過ごしたいと思います。昨年母校の100周年の記念事業として追手門通りに面しプールのあるODUウェルネスホールの前の所に学舎を建設中です。天満学舎と楠葉学舎と、ある面での不便を解消する為等の理由で現在拡張建設中です。
見学を兼ねてクラス会を開催してはどうかとも思っております。今日は時間の許すかぎり楽しい時間を過ごして下さい。故会員のご冥福を祈り黙祷、会務報告、会計報告と進み、森岡君より欠席の方々の近況報告がありました。

◎磯遊君 80歳を過ぎ一段と老化、寂しいかぎりです。
◎岡田君 足の動脈硬化の為、長距離の歩行困難。
◎岩堀君 元気でやってます。
◎佐藤君 硬膜下血腫のため2回に亘り入院。現在はまあまあ。
◎嶋村君 白内障の手術後の間がない為欠席。
◎長野君 有病なれどなんとか元気です。
◎寺内君 杖を歩いていますが元気です。
◎直田君 今回は旅行中の為欠席。高血圧を除けば至って元気。週1の治療、詩吟教室を継続中。
◎古市君 安穏なり。過分を知らず、天命を待つ。
◎浜口君 元気で過ごして居ます。
◎堀君 体調やや不良、テレビの守の一日。
◎英君 只今病気療養中で休院。
◎松本君 私事で今回は欠席。
◎森本君 2年前心臓のバイパス手術を受け無理出来ない状態。
◎矢野君 元気で過ごしています。
◎渡辺弘君 どうにか健康。家族との旅行を楽しんでいます。
◎田中君 検査入院と重なった為欠席。
◎吉田君 あちこちこちらと病院廻りで忙しいです。
◎渡辺祥君 老後をしみじみと味わっています。
◎秋田君 以前からの腰痛がすっきりせず長時間の移動困難。
◎田村君 体調に自信が無くなり今回は欠席。
◎三木君 体調すぐれず、歩行困難。

当日の出席者からの各自の近況報告もあり、それぞれ年齢には逆らわず年相応に人生を楽しんでおられる様子。人生80年代、健康長寿で生きることが人生最後のステージでの目標ではないでしょうか。お互い無理をせずに来年も元気でお会いしましょう。

次回の一新会総会は森岡会長、幹事、に一任で開催することを決定。

(村田安充 記)

井倉宗弥太君を偲ぶ

壮健そうで、当然の様に何時も心を支えて頂いてくれると思い込んでいた君の突然の訃報に接し愕然とすると同時になんとも言えない寂しさが襲って来た。

京大口腔外科同時入局の青山、中川、佐藤君が既に他界しているのに、何故か君だけは特別に自分より先に居なくなる事は無いという思い込みがあって碌遠になってた事がなんとしても悔やまれる。同級生が自分も含めて何時亡くなっても不思議ではない年齢に達しているのだ。

君の存在は勿論在学時代から知っていたが、付き合いが始まったのは京大の口腔外科に入局してからである。医局の慰安行事としてのスキー旅行(牧野日帰り)の世話役を新入医局員がやらされる事になり、何れ劣らぬスポーツ音痴の我々が困惑して居る時スキー板や靴の調達など君が先頭になって何とかこなす事が出来た事で、その指導力に一目も二目も置くようになった。
一時が万事で、新人での初仕事として局所麻酔剤の検定をやる事になり、君が赴任していた滋賀県保健診療所の宿舎で実験を始めた。表面麻酔の効果判定にウサギを用いた角膜反射を利用するのに、生理学実権書に「馬の尾毛でウサギの角膜を刺激する」と記載されていた。馬の尾毛をどうやって入手するのか一同大いに悩んでいた所、君のアイデアで目の前にいるウサギの髭で代用してはということで一応論文を仕上げる事が出来た。このように君は実務的にも学問的にも我々の指導的存在であった。

また君はご尊父が芸術家(日本画)であった事も有り、絵画、音楽等芸術に造詣が深く、自然を愛し、よく滋賀の山や湖に誘われて散策したものであった。

更にスポーツの面でもゴルフを良くし、ホールインワンを達成したと聞く。ちなみに私も誘われて下手なゴルフをやるようになった。
やがて私は大学に残り君は開業、なんとなく付き合いが疎遠となったが君は私の心の中に畏友として留まるようになった。そして静かに消えてしまった。残された者にとっては寂しい限りだが君は開業医として成功を収め、ご子息は研究者の道(京大放射線生物研究センター准教授)へ進まれ、人間として独自の存在を確立された事を羨ましく思う。
やがて私がそちらに参った時には、今度こそ疎遠になる事無く親しくお付き合いをお願いしたいものです。
合掌

(古川哲夫 記)

加藤慶一君の思い出

加藤慶一君は愛知県岡崎市の商家の長男として出生、昭和25年大阪歯科大学に入学、予科A組に在籍、高校生時代ハンドボール部に属し歯大入学後もハンドボール部に属し、選手として活躍され当時大阪は関学と争う程の強いチームでした。

大学卒後名古屋大学付属病院歯科口腔外科に在籍後、三菱名古屋病院を経て昭和42年名古屋市工会議所歯科診療所ビルにて医院を開設、名古屋市歯科医師会専務理事に就任時、熱心に活躍されました。

今年10月3日入院中の病院で肺炎にて81歳で逝去され、開業歴45年間、これといった趣味も無く診療一筋、直前まで現役で診療を続け隠居生活を送る事もなく旅立たれました。

名古屋南ロータリークラブの会員でロータリアンとして畏闘され私とは同じ2760地区(愛知)大会等で良く会う事がありました。

平成22年に私がガバナーとなりその当時を振って励ましてくれたことを覚えております。

一新会同窓会に余り出席されない理由が解りました。数年前から耳が遠くなり充分に会話が出来なかった事を知りました。然し診療は逝去される少し前まで診療を続けておられたと聞いていました。

80歳まで立派に頑張り長男恭之先生が後を引き継ぎ尽力されておりますので何よりもと思っております。

人生は諸行無常であります。天上界に於いても安らかな旅となるよう急願して追悼の言葉とさせて頂きます。
合掌

(松前 静 記)

平成28年度 大5 大五会

一昨年来、大五会60周年記念行事と天神祭り、同時期を計画しておりましたが、今回大五会 第3回幹事会にて下見の結果、真夏の暑い時期と混雑の無理が生じ中止することに致しました。
来年の5月の気候の良い時期に行うことを第4回幹事会で立地条件の良い大阪梅田で行うことを決定致しました。過日の10月20日(木) ホテルグランヴィア大阪にて会場下見兼試食会をし、ホテル側と話合いを
すませ、当日までにこちらの要望を伝えることにしております。
今回での最終記念総会を、皆様の1人でも多くの参加を頂き、意義ある大五会の集いに致したく存じます。

  

大五会 卒業60周年記念全国総会
日時 平成29年5月25日(木)
場所 ホテルグランヴィア大阪
(クリスタルルルーム)
出席者 (同伴可)
16時30分~

詳細は再度1月頃ご案内申し上げます。
計画変更のお詫びを申し上げます。
出来るだけ大勢の参加お待ち申し上げます。
大五会60周年記念総会実行委員幹事一同


(新田賢記)

平成27年度 大5 大五会

大五会の皆様、その後お元気でしょうか。本部の夏号へ総会の件をPRしていただき、去る6月25日、他界の代表幹事坂口喜史夫君の意思により、300m日本一の超高層ビル「あべのハルカス」57階、大阪マリオット都ホテルレストランジーケーで全国総会を無事終えることができました。大阪の超高層ビルでの集まりを期待いたしましたが、少々集まりが少なく残念の感があった。私たち八十路、人生すべて“壺中天あり竟中人あり”の信念です。われわれ健康であれば、元気で天職を全うし、少しの人生を楽しく考えたい域です。

平成27年度 大五会全国総会

平成27年10月24日 午後5時
大阪マリオット都ホテル

議題

1.平成26年以降 物故会員
平成26年
松岡 伸義 大阪府 2月4日
新実康男 京都府 3月20日
西原 盈実 広島県 4月1日
巴暢三 和歌山県 6月27日
飯田 浩司 兵庫県 12月4日
平成27年
松浦 剛 大阪府 2月25日
越智 茂三大阪府 3月19日
坂口喜史夫 兵庫県 6月25日
過去最多の物故会員に対して黙祷

2.報告事項
大学関係 吉田 洋先生より 大学の実情を聞く
会計報告 櫻井康弘先生より 報告

3.クラス会代表選出
前坂口喜史夫君の補佐役を勤められ、個々に噂の大塚壹章先生を推挙万丈一致で決定。大五会代表幹事をお願いすることになった。

4.弔慰
過去最多の級友を黄道へ送ることになりました。級友に弔慰文をお願いしていたが、割愛させていただきお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。合掌

新代表幹事大塚壹章先生のコメントを頂戴していますので下記へ。

コメント
このたび大五会全国総会においてクラス会代表に指名され、高齢なるがゆえに一段と責任の重さを感じます。しかも自身の健康にも留意し、愛会の精神で尽力いたしますので、ご支援ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。クラス会代表幹事 大塚壹章大五会のたびに意思表示していただいた大塚クラス代表幹事に、ついて行こうではありませんか。

(新田 賢記)

平成27年度 大5大五会

大五会の皆様お元気でしょうか。大歯同窓会報は年2回発行されますが、まず「クラス会だより」が目に付き、興味深く拝読するが、掲載されていない時は大五会の皆さんの事を想い寂しくも感じます。文才の無い小生ですが、大五会幹事会を通じ活動をした事を紙面にてお伝えします。

大五会の今後のあり方について、まず今年のクラス会をどのようにするかを、4月23日に大阪歯科大学附属病院のプラザ14にて集りました(写真メンバー面々)。前回の幹事会で松田先生に頼み、旅行会社のプランをタタキ台にし検討した結果、今回は日本-高いビルが大阪にあるのだから「あべのハルカス」大阪の新しいランドマークで、世界が認めるホスピタリティと日本が誇るおもてなしを平成27年10月24日(土)に於いて、大五会全国総会を開催致します。場所は「あくのハルカス」大阪マリオット都ホテル、最上階57階レストランジーケー(ZK)で予定しています。クラス会の夏号原稿〆切は6月末で、8月号に掲載されるとの事ですので、正式出席ご案内は少し遅れてお手元へ発送致します。

この総会に日本一高いビルの展望台で300mの高さ、美しく移り変わる360゜の眺望、壮大な寛ぎの空間をまず総会の時間までに友人、グループでお越しになり、展望台とか16階美術館(2015年10月10日(士)~12月6日(日)まで、錦絵誕生250年“舂信一番!写楽二番!”開催)など見所が沢山あり、時間に余裕をもって散策ください。館内エレベーターも乗り継ぎしたりアクセス等がややこしいので、時間にゆとりを持ち一人でも沢山の級友の集いになるよう、幹事一同お待ち申し上げます。

(新田賢記)

平成26年度 大5 大五会

新年明けましておめでとうございます。長らくご無沙汰ですが、大五会の皆様ご健勝の事と存じ上げます。大歯同窓会報に大五会のニュースが無い事が侘しく、気になりつつもペンを執らせる事ができず、はや1ヶ年が来てしまった。何とか昨年のことを思い出し綴ってみました。

報告事項慶弔

大歯同窓会報より平成26年度

兵庫県 坂東弘志(1月5日)
大阪府 松岡伸義(2月4日)
京都府 新実康男(3月20日)
広島県 西原盈実(4月1日)
和歌山県 巴暢三(6月27日)

5名のお悔やみ申し上げ、ご冥福を心からお祈りします。合掌。

叙勲 平成25年秋(11月3日)小林敏郎旭日小綬章
   平成26年春 (4月29日) 新田賢瑞宝双光章

大五会にもおめでたい事もありました。クラス会報告(平成25年度)平成25年11月9日、全国総会地、神戸ポートピアホテルで20名出席の和やかな一泊でしたが、寂しい懇親会でお開きとなりました。平成26年度の総会が流れ、早速幹事会の招集をかけ(9月27日)話し合い、平成27年の全国総会は5月頃の開催を決定。次回(1月15日)検討幹事会を開き、一人でも多くの参加を募集。決定次第伝達します。

(新田賢記)

平成27年度 大6 六歯会

昭和20年、国民学校高学年で1学期に「鬼畜米英、アメリカ人をブチ殺せ!」と教えられ、夏休みの8月15日を過ぎた2学期には「アメリカ進駐軍歓迎、マッカーサー様さま」という教育を受けた我々世代は、最も育ち盛り食べ盛りの時期に敗戦後の飢餓社会を生き抜き、進駐軍兵士からチョコレートをもらって喜び、物のない時代に、
なんでも「もったいない」 「まだ使える」という習癖が身について、古いシャツやズボンも捨てられずにいつまでも身に着けてしまう。そんなわけで後の世代の人たちからはケチとみられる悲しい世代の人間である。エアータービンも超音波スケーラーもなかった昭和33年に卒業し、その後の著しい歯学の進歩に引きずられながらの半世紀を歯科医として生き続けてきたが、八十路に入ったために、もうそろそろリヤイヤして後に続く者たちに道を譲る時代になってしまった。162名の卒業生のうちで、70名がすでに天に召されているが、いまだ元気な21名が相寄り平成27年10月22日に、土井喬君の行き届いたお世話で、大阪駅のホテルグランヴィアの19階にあ
る日本料理の「浮橋」で懇親会を持つことができた。

出欠返信の欠席者から近況一言も多数寄せられ、要介護、リハビリ中、自宅療養中などが多かったが、
一瀬健二君 午前中診療を続けています
押谷誠之助君 他の会合と重なり
龍田 吉弘君 週3日元気で午前中診療
斎藤 彰君 ゴルフ
山下 敦君 週4日の診療と講演で多忙
驚いたことに石川哲夫君 元気でマラソン大会に参加などもあり、まだまだ元気な者も多く、今回の足場のよい会場とコンパクトな宴会に、次もここでやろうよという声もあり、来年を期して散会した。

なお、当日は懇親会に先立って、土井喬君のお世話で好天に恵まれた超一流コースの茨木カントリークラブで数名が好プレーと楽しみ、また、奥野晃三君のお世話で数名が中之島の国立国際美術館で「クレオパトラとエジプトの王妃展」を鑑賞した。

(山岸信博 記)

平成26年度 大6 六歯会

大阪歯科大学大6回卒業生 平成26年懇親会

いつまでも元気でいられると信じて日常を過ごしている愚かなる者どもであるが、さすがに傘寿ともなると、自他ともに認めなければならない立派なる老人である。「おいくつになられましたか?」と尋ねられて、同期生の大部分を占める昭和8年生れの者は「天皇と同い年だよ」と煙に巻いて相手が「えっ!」と驚くのを見て気休めするのを唯一の楽しみにするこの頃である。にもかかわらず年に1度は懇親会と称して顔を合わせて軽い飲食で、だべるのを常としている。卒後50年であった平成20年までは第○回六歯会と称して6月に集まっていたが、すでに68名もの級友がすでに亡くなっていることもあって、出席者数が減ったこともあり、年に1回懇親会と称
して、秋の気候のよい時期のウイークデーに気軽に顔を合わせることにしている。そのようなことから今年は10月23日の木曜日に日時を決めた。昨年は大阪で集まったので、以前からの取り決めに従って、今年は兵庫県の級友のお世話になって神戸で懇親会を持つことになった。齢も齢なので体力が必要で、時間のかかるツアーなどはやめて、世話役の勧めで神戸では有名な小磯良平画伯の美術展を見学することにした。神戸生まれの小磯画伯はオーソドックスな画風の美しい女性のポートレイトで有名で、その作品に接することで心休まる画家なので、神戸市民に愛されている。現在の展示は作品を画伯の制作順に並べられていて、時代による小磯画伯の制作態度の変化がよくわかって興味深かった。小磯画伯のご遺族によって作品、蔵書とともにアトリエが神戸市に寄贈されたので、その場所に建設された「神戸市立小磯記念美術館」は、JR住吉駅から新交通六甲ライナーで7分のアイランド北口駅前にあり、訪れやすいことから多くの来館者でにぎわっている。同館では現在同時に同じ神戸生まれの木版画の大家であった川西英氏の作品展も開かれており、美術館に足を運ぶ価値のあるツアーであった。磯美術館から世話役が用意してくれたタクシーで懇親会場のホテル・オークラ神戸に向かった。神戸港の中突堤のメリケンパーク近くにあるホテル・オークラは、水際にある35階建ての高層で、すぐそばに震災メモリアルパークが設けられており、ホテル従業員によると阪神淡路大震災の時は35階では大変な揺れだったそうである。34階にある日本料理のメイフェアーには宴席が用意されていた。34階というと真下を見ると足がすくむ思いがするが、遠目には左はるかに関西空港、右には明石海峡大橋が望め、海には港に出入りする船舶が見られ、目の前には神戸空港に離着陸する飛行機を見ることができるすばらしい眺望の会場であった。懇親会と言う名目で、肩がこらず気軽に楽しもうというパーティーなので、来寶などは一切迎えずに級友たちの雑談に徹した。

参加者は元気な25名で、この齢になってもオレ、オマエで接することができる同期生の懇親会はすばらしいものであった。齢のせいであまりしつこい食べ物は好まれないので、日本料理を選んだのは成功で、一流ホテルの日本料理もなかなかのものなので、一同機嫌よく時を過ごし、来年を約して散会した。永年にわたって会をリードしてくれていた大野一郎会長が、昨年の大晦日に亡くなったので、彼に頼っていた一同呆然となったが、今年は神戸だからと兵庫県在住の大矢君、西条君佐藤莞爾君が見事なるお世話をしてくれたので、清々とした盛会となった。

平成26年初秋

(山岸信博記)

平成27年度 大7 七夕会

七夕会会誌の廃刊に伴う原稿の大阪歯科大学同窓会誌への転載について

卒業後56年を数え会員の年齢も80歳を越え、総会への参加も遠方からの方は無理となり、会誌への原稿依頼も反応少なく僅かに集まったものも、なかなか発刊に至らず、月日が経ち、原稿の内容と掲載時期が合わないケースが多発、特に追悼文には遅くなり過ぎました。以上の結果、会誌の廃刊を決めざるを得ませんでした。しかしせっかく戴いた原稿を活かすため、大阪歯科大学同窓会誌に掲載することになりました。今回は山口県の蔵田克彦君、愛知県の磯村文男君の文を掲載させて戴きますので、以上の観点をご理解の上、読んで戴きたいと思います。

(宮井茂人記)

妹尾家と八咫鏡

蔵田克彦

八咫(ヤタ)鏡、といっても今の若い人には殆ど記憶にもなく、興味もないものであるかもしれないが、天皇の位のしるしとして代々受け継がれた三種の神器の1つである。他の二つは、八尺瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)と天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ) で時代をさかのぼるとき、皇位継承には、この三種の神器は今の世では考えら
れないほど重要な意味のあるものでした。そして現代においてもまだいろいろ騒動を起こすネタになっていた。
高知の四万十川へ川下り遊覧とゴルフをかねて、平成13年の初秋、友人四人連れ(菊池、妹尾、高畑君)で旅行した帰りの車中でのことである。メンバーの一人、妹尾弘暉君が、土讃線の大歩危小歩危あたりだったでしょうか、峡谷と渓流の続<山深い奥地に、この車社会の時代にろくな道もなさそうなのにひなびた人家があるのをみて、「あれも屋島の戦いに敗れた平家の落人達の部落かもしれないね」といった。
私は「ふーん、宮崎県の椎葉村のようなものかねえ」とかいい加減に相槌を打っていたのだけれども・・・思いがけない事の発端はここからであった。「蔵田、下関に赤間神宮があるだろう」「うん、だけど行ったことはない」「じゃあ今度機会があったら寄ってみて・・・」 「あそこにはうちの屋敷内から出土した“八咫鏡”が収められているから」「その昔平家が壇ノ浦の合戦に敗れた際に密かに先祖の某が持ち帰り隠匿しておったのを赤間神官に奉還したものだから」といった会話があったのだけれども、半信半疑でその記憶も薄れかけた頃である。

たまたま平成13年12月1日、その日は下関市立美術館で、ガラス工芸の世界ではピカソにも比肩されるエミール・ガレのガラス展が開かれていて、それを観に行っての帰り赤間神宮が近くであることに気付き、妹尾君との約束を思いだしてそこでタクシーをストップすることになった。何時のことになるやらあまり本気で考えていなかった機会が、こんなに早く訪れようとは思っていなかったのでした。

そしてその時、次なるちょっとしたハプニングも待っていました。赤間神宮の二十数段の石段を登り、踊り場に出て、次の石段に向かいかけた時、地元テレビのカメラマンが小走りに寄って来て、インタビューさせてくださいといってあっというまもなく私の顔に向けカメラを回し始めた。
「つい20分前に、雅子様が女児を無事出産されました。母子ともにお元気です」。といって私の反応を待っている。このようなことに対応するのは大変苦手で困ってしまったが、助け舟の筈の脇にいた女房殿は要領よくさっさと離れて高見の見物に回ってしまった。「それはおめでとうございます。皆待ち望んでいましたし、皇太子様をはじめ、皇族の皆様方も大変お慶びのことでしよう」「これからはお健やかに成長されます様お祈りします」と口上を述べたのですが、まだカメラを回し続けるので困ってしまってその後はもう勘弁してもらいました。こんなハプニングも元官幣大社の赤間神宮だったからでしょう。赤ちゃんは“愛子・敬宮”と命名され、いまは可愛さたっぷりに成長しておられご同慶の至りです。インタビューは何とかパスして、赤間神宮のカラフルで威容を誇る大きな山門を潜り社務所の受け付けで宮司さんに、“八咫鏡”について尋ねると、確かにありますが私たちでも日常見ることは出来ませんので、拝観は出来ませんということでした。さらに写真でもないでしょうかとお聞きしますと、記念誌に掲載されているからといって、一冊いただけることになりました。その宮司さんも、“八咫鏡”が赤間神宮に奉還された時の事情がいろいろ大変であったことを話してくださいましたが、記念誌に詳細が書かれていますので要約して述べます。

「安徳天皇八百年にあたり記念特別号」:

安徳天皇御入水御八百年を迎え、八咫御鏡神社創建に因んでの御祭典にあわせて発刊された記念特別号のことです。そもそも事の始まりは、平家の侍大将であった“妹尾兼康”なる人が、壇ノ浦の合戦にてここで討死するよりは逃げ去って生きながらえたいと思ってやったことと書かれている。しかし合戦中にそのまま逃げては卑怯者とて平家同族のものから殺される恐れがあり、何かいい方法はないかと思案していた折、安徳天皇とともに入水寸前の三種の神器のうち、誰の身にも付けられていない“八咫鏡”をとっさに抱いて、源氏の山猿どもにこの宝鏡を渡してなるものかと絶叫しながら、敵味方の船を潜り抜けて陸地に上がり、壇ノ浦から備中国の妹尾の荘へ逃げ延びた。源氏方の厳しい目をも逃れて密かに“八咫鏡”を安徳天皇の御霊として家に祀っていた。密告者もなく無事に過ごせたのは、“兼康”という人の治水事業などの功績で農民達に恩人として慕われていたからだという。その後、子孫の手で家宝の“八咫鏡”を多和山の麓に埋めて御神体とし、その上に社殿を建て、安徳天皇社平の宮として天皇と平家一門の冥福を祈っていたが、何百年も経って近年はその痕跡ぐらいしか残っていなかった。岡山県英田郡作東町の郷土史研究家の春名義雄氏が地元妹尾家文書等を調査中に三種の神器の1つ“八咫鏡”の存在を知ることになり、発掘調査されることになった。何百年も土に埋もれていたものが幾多の苦難を超え昭和三十三年七月十三日についに日の目を見ることになりました。この“八咫鏡”は第十代崇神天皇から第八十一代安徳天皇まで一千二百二十六年間、歴代皇位継承の神器であったと言われているものです。伊勢神宮に祀られている御鏡とは違って、皇居に奉安されていたこの御鏡は、第六十二代村上天皇以後に三回の火災によりかなりの部分が焼欠しその形を失ったということが、古事記や日本書紀にも記してあるそうです。その後、部分焼欠した八咫鏡は唐櫃の中に納められて歴代皇位継承の神器の1つとして安徳天皇まで伝承されてきたものと記されております。

“八咫鏡”発掘後は、郷土史家の春名氏および妹尾家一族の赤間神宮への奉還派と、地元住民の美作神宮創建派との対立に発展して、春名氏側がほとほと困り果て抜き打ち的に赤間神宮に奉還してしまったという。しかし神宮創建派の住民側はすぐに追っ手を下関に向け、返還を迫り、ついには岡山、山口の両県知事を始め各種議員まで動かして、現在の姿になるまでには双方でかなりの争奪戦をやったようです。“八咫鏡”の写真を記念誌のコピーから又コピーしましたがあまり写りがよくありません。三度の火災に会い、その上何百年も土中に埋もれていて
は原形はとどめているはずもありませんが、考古学的にも学者の先生方は価値あるものだと認めているようです。その1つ、花鳥の文様、握りの作り方等々に渡来のものではなく和鏡の特色があるなど、銘すべき逸品であるとのことです(神道考古学者大庭磐雄氏より)。赤間神宮には、ラフカディオ・ハーンの怪談で紹介され有名になった「耳なし芳一」の舞台になった平家の武将達のお墓や芳一像が祀られている祠などもあって、いろいろ散策しているうち源平壇ノ浦の合戦の悲劇、幼少安徳天皇を無理やり入水させるなど、あくなき権力闘争の歴史の姿が脳裏を過ぎっていきます。何時までたってもこのような闘争は人間が滅びるまでは終わりを告げないのだろうかとふと思ってみたりする。平家は滅んだ。「おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢の如し。たけき者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ・・・」(平家物語)

それより以前、源義朝はじめ源氏一族のほとんどが平家に殺された。わずかに生き残った子孫が源氏を再興し平家を討伐することになる。壇ノ浦の戦いで討伐隊長の天才義経は平家にとどめをさす。しかしその義経にもわずか数年後には悲劇がおとずれ、その後は源氏も結局滅びてしまう。序でながら、NHKのある歴史探訪番組でのこと、壇ノ浦の合戦で源頼朝は義経に三種の神器の奪還も命じていたといわれる。しかし義経はこのことはならず合戦後すぐ勝利報告に京に帰った。その後、頼朝は再び、周防の水軍に命じて捜索をさせたが結局不首尾に終わったという。そのはず御鏡は妹尾兼安が岡山に持ち帰っていたのだった。

このたびは、妹尾兼康の末裔、弘暉君のお蔭で赤間神宮にお参りする機会を得、“八咫鏡”の千数百年に及ぶ数奇な運命について知ることになりました。山口県近郷にもまだまだ私が探訪していないところがたくさんあり、知らないことも本当に多いです。今後とも地元の探索もおろそかにしないようにしなければと思っております。

尺八

磯村 文男

小学五年生のころから、家にあった尺八を玩具のようにして遊んでいたので、大学に入ったら尺八を本格的に始めようと思っていた。ある夜更け、遠くかすかに尺八の音色が聞こえ、だんだんと近づき下宿の前を通り過ぎて
行った。その夜は、まんじりとも出来なかった。次の日、学校でそのことを話すと話の輪の中にいた三浦弘君本人だった。縁があって、三浦弘君(後の詠山)に、京都祇園富永町の尺八師匠、遠藤眠山師(竹琳軒大師範)を紹介してもらって、昭和29年2月に弟子入りをする。当時は、尺八に楽譜があることも、流派があることも知らなかったが、日本で二大流派として、都山流、琴古流があり、ほかに小さな流派があること、それぞれの流派には楽譜があり、流祖がおられることなどを知る。師匠が最初に言われたことは、本気で始めるのであれば、良い尺八を持たなくてはいけないと言われ、親に一万円出してもらい購入する。月に六回の稽古日には、牧野から京阪電車に乗り稽古に励んだ。その結果、初伝の免状から始まり、中伝、奥伝、皆伝を経て、三浦弘君と同時に準師範の試験を宗家の宅で受けた。試験の内容は、吹奏、楽理、書き取り(試験官の吹奏を楽譜に書き取る)と面接の試験に二人とも無事に合格することができた。都山流準師範相許候事の免許状をいただいたのが、昭和31年3月1日だった。そして、眠月 (昭和43年2月15日大師範となり宮山となる)という竹号をいただいた。その間に富本盛弘君( 山) も尺八を始め、同門の兄弟弟子となる。富本君は、卒後沖縄に帰り都山流尺八を沖縄各地に普及した功績で、都山流竹琳軒大師範となる。都山流には、本曲、古曲、新曲とある。本曲とは、尺八のみの独奏曲、合奏曲のことをいう。古曲は本来の古典曲で琴、三味線との合奏曲、新曲とは明治以後の新しい曲で、尺八、琴、三味線との合奏曲のことである。稽古に通っているときに、師匠宅の近くの生田流箏曲の師範を師匠に紹介してもらい、稽古の帰りに寄せていただいて、琴や三味線との合奏に、帰りの終電近くまで一生懸命、精を出し腕を磨いたものだった。三人が大学を卒業し、それぞれに故郷に帰ることとなり、退門することになったのを期に師匠が同門の兄弟弟子を集めて、京都は三条の十字屋楽器店の二階の会場でお別れ演奏会を開いて、我々三人を送り出してもらったことが鮮明に記憶に残っている。嬉しいことだった。

一宮に帰り、師匠の世話で同じ流派の年頃も同じの三人を紹介され、四名で「いずみの会」を結成して、お互いに切磋琢磨して、いろんな箏曲の演奏会に依頼をされて出演も多く、また「いずみの会」としての演奏会も数回開催した。我々の会もいよいよ軌道に乗ってきたころ、仲間の一人でプロになった、小生と同年者が急逝してしまった。そのため、会を解散することにする。彼の死が悲しくて暫く尺八から遠のいていたのだが、甥の結婚式に是非にと依頼され、断りきれずに承諾して「春の海」を吹奏する。以後は舞台での演奏会などはすべて断り、一人でほとんど毎日尺八の吹奏を楽しみ、また25年ほど前から本格的に、プロの先生について始めた写真撮影(一宮市美術展の依頼出品者に選出される)を終生の趣味としていこうと自己満足をし、楽しい日々を過ごしている今日この頃である。

平成27年度 大7 七夕会

第56回七夕会総会開催

平成27年5月23日、料亭芝苑にて開催致しました。今回は会員24名の参加を得ました。来賓に川添堯彬大学理事長・学長、及び今井徳子同窓会副会長のご臨席を頂きました。総会は小林和夫君の司会で始まり寺野福男君を議長に依頼、藤本宣文会長の挨拶で先輩からの言葉として日頃から嫌なことや苦しいことを出来るだけ思わず、良いことや楽しいことを常に思いながら過ごすのが老後の過ごし方で良いのでは、と話され、つい嫌な事に思いが行く自分に気付かされました。
議事は順調に進行、次回も大阪当番で開催することに成りました。

会員数は100名で、物故者は
平成26年10月25日安藤正君 愛知県
平成26年12月30日河合洋一君 岐阜県
御家族では
平成26年7月7日寺田恬君の奥様 津市

の方々で謹んでご冥福をお祈り致します。閉会の辞を安田英幸君にしてもらい、宴会に移行致しました。当日になって来實への案内時間が大きく間違っていたことが判明、やむを得ず集合写真を先に撮りました。その為、来賓の先生方は入っておりません。誠に失礼な事態と成り、来實の先生方には深くお詫び致します。その他色々不手際が続きましたが、大学役員の下村銭三郎君がとりなしてくれ、了承を得ましたが、七夕会役員一同冷や汗をかきました。宴会は瀬尾利臣君の司会にて和やかに始まり、乾杯を下村銭三郎君に願い、その時に対処について話してくれました。次いで来實の入塲と挨拶を頂きました。

川添学長より大学の現況について話され、まず、政府の方針として全国歯科大学29校の2200人の卒業者数を1500人にしろ、とのことで私学の経営が大変困難であること、また、国家試験の今年の成績は新卒者が77.4%でベスト5に入り、公立学校4校より上になったことは誇るべき事で有ります。また、大阪大学の学生約20~25名が本校に講義を受けに来ている現状です。入学試験は競争率が1.8倍から2.95倍へと上昇しました。国家試験は来年はベスト3を目指して頑張っている。過去の低迷の雪辱を果たすべく努力している。との事で有ります。今井副会長は、生駒会長が地方に出張のため来れず祝辞を代読されました。宴も楽しく進み、安田英幸君の閉会の辞でお開きと成りました。
来年の総会にも多くの参加者が有ることを皆様に願い、健康な顔を見せてくれる事を祈りつつ見送りました。

(宮井茂人記)

平成26年度 大7 七夕会

第55回七夕会総会開催

平成26年5月24日、ホテル阪急インターナショナルにて開催されました。卒業してから55年、紅顔の美青年も過去の思い出にのみ存在し、お互いの顔を見合わせ「元気かい」と言い合う傘寿前後の挨拶を交わす齢になりました。毎年開催される総会に参加者も序序に減少しましたが、今回は全国より35名の参加者がありました。

総会は川添堯彬大阪歯科大学理事長・学長、生駒等大阪歯科大学同窓会会長恩田信雄大阪歯科大学同窓会專務理事の来賓を迎えての開催となりました。総会は小林和夫君の司会で始まり、議長を寺野福男君に例年の如くお願いし、藤本宣文会長挨拶では大学100周年記念館について4階建ての講堂や教室の概要について披露され、会務報告では平成25年秋の叙勲で富本盛弘君が端宝双光菫を授章されたとのこと。

物故者は今回8名と多く、総会後もう1名ありました。
平成25年5月30日後藤墓成君(大阪府)
平成25年7月15日寺田明君(大阪府)
平成26年1月6日青木資明君(大阪府)
平成26年1月21日森田知生君(岡山県)
平成26年2月24日玉井正彦君(大阪府)
平成26年4月7日村瀬進君(兵庫県)
平成26年4月16日梅村泰-君(京都府)
平成26年4月17日西浦修君(大阪府)
平成26年10月25日安藤正君(愛知県)
黙祷の後、議案審議に移行。

会計報告の後、中田親良監事の監査報告と続き、26年・27年度の会長は引き続き藤本宣文君に決定、監事は中田親良君と小林和夫君の留任と決定致しました。七夕会総会は毎年大阪が当番で開催することになりましたが、そのつど開催方法など審議する事に致します。写真撮影の後、懇親会に移行しました。小林和夫君の司会で川添理事長・学長、生駒同窓会会長より祝辞を頂き、次いで恩田同窓会専務理事の乾杯で会が始まりました。今や現役で診療に当たっている人が段々少なくなってきて、また、親子で診療に当たっている人は保険診療のIT化で慣れないコンピュータに振り回されて四苦八苦しているのが現状です。しかしここで負けてはならないと、頭を使う事が長生きの秘訣で「元気で長生き」を目標に頑張ろうと思っております。来年も元気な姿を見せて下さい。最後に安田英幸君が閉会の挨拶で締めくくりました。

(宮井茂人記)

平成25年度 大7 七夕会

第54回七夕会総会開催

平成25年5月18日リーガロイヤルホテルにて開催されました。来賓は生駒等大阪歯科大学同窓会副会長、大塚俊裕大阪歯科大学大阪府同窓会専務理事を迎えて開会されました。今回は大阪七夕会との合同開催となり各会より
の来賓の参加を得ました。会員37名、来賓2名と、総計39名で先ずは賑やかに総会は始まりました。

最初に大阪七夕会総会を瀬尾利臣君の司会で議長は寺野福男君と例年の如く始まり、和やかに締めくくり、全国七夕会総会に移行しました。今回特筆すべき事は、長年、会計を担当してくれていた後藤基成君が急病の為、急 会計報告を藤本宣文会長が行った事でした。藤本会長の事業報告に続いて会計報告を会長が続いて行い、中田親良君の監事報告に続いて議案審議に入り七夕会を存続させて、来年の55回総会を大阪で開催する事を決定しました。次いで安田英幸君の閉会の挨拶で締めくくりました。

写真撮影の後、懇親会に移り宮井の開会の挨拶で命の大切さとはかなさを感じ、今を元気で楽しもうと、来年の総会にも元気な顔を見せてほしいと願いました。生駒副会長よりの挨拶で三谷卓会長が香川県支部の同窓会に行っておられ、会の重複の為、生駒先生に代理出席を願われた次第と七夕会の隆盛と総会の盛会を願われました。大塚専務の乾杯で賑やかな懇親会が始まりました。宴会も楽しさを噛み締めながらお互いの無事を確かめつつお開きと成りました。会員の年齢も80の前後に差しかかり、計報も増え今回は平成24年以降12名を数えました、平成25年10月現在の記録では総計70名(本人)と成りました。

本人
長谷川真澄 平成24年2月18日 京都伏見
村田茂 平成24年2月28日 三重県
舟津保男 平成24年5月17日 岡山倉敷
池 泉夫 平成24年5月25日 大阪和泉
沢田 稔 平成24年6月4日 大阪市
山村 利貞 平成24年6月20日 大阪吹田
加藤正夫 平成24年11月22日 大阪市
菊池 昌男 平成25年1月28日 京都市
大西 重内 平成25年3月1日 大阪吹田
松山 茂 平成25年4月8日 京都福知山
後藤基成 平成25年5月30日 大阪市
寺田明 平成25年7月15日 大阪守口

家族
加藤正夫(妻) 平成24年2月17日 大阪市
木下幸子(夫) 平成24年3月20日 神戸市
森田 知生(長男) 平成25年5月14日 岡山市

平成25年10月26日現在となっております。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

永年会計でお世話戴いた後藤基成君は5月18日の総会時には重体ながら加療中でしたが、その後お見舞いに参じましたところ、顔全体が人工呼吸の酸素マスクに覆われ危篤状態でした。この様な時に会計の事をご家族に色々御願いし、ご長男(大阪歯科大学助教)には大変ご協力戴きまして、事無きを得ました。総会後12日目の5月30日に帰らぬ人と成られましたが銀行封鎖の為、危なく総ての会費を引き出せなくなる所でした。この間、ご家族に不愉快な思いをお掛けした事を深くお詫び申し上げます。又後藤君の奥様も現在入院中で度重なる困難に、ご家族のご苦労も察して余りある現状をご理解戴きたいと思います。入院中鳥取から亀山君が見舞いに駆けつけた時
には酸素吸入の為、話は出来なかったが意識は有り一方的では有るが意志の疎通は出来たとのことでした。葬儀には彼も出席して、弔辞を読んでくれました。彼から追悼文をもらっているので掲載させて戴きます。

(宮井 茂人記)

後藤基成君を偲んで

後藤基成君は平成25年5月14日病院に診察を受けにご子息と行く途中、急に倒れてその場でご子息(大阪歯科大学助教)が応急処置後、都島の大阪市立総合医療センターに緊急入院されたと鳥取の私のところにご子息から連絡が入りました。約40年位前から心臓病を患い弁膜弁手術を大阪医科大学で受け、以後同大学で通院加療中であったのですが、平成25年5月14日に倒れて入院され今は酸素吸入の状態であるとの事でした。早速、小林秀行君にもと連絡しましたが、電話も繋がらない状態でしたので、私が5月24日に病院に見舞いの為、大阪へ向かいました。後藤君は、口や鼻に酸素マスクをしていて話が出来なかったが、しっかりと目を開き私を見てくれました。私も強く彼の手を握りますと嬉しそうな表情をしてくれました。意志の強さを感じましたので私は帰りましたが。5月30日に彼が亡くなったとご子息から知らせが有りました。早過ぎた別れでした。告別式は6月2日彼のマンションの集会場で行われ、私と宮井茂人君が参列しました。後藤君はご存じのとおり優しい善人でした、誰からも愛されました、優しい性格であった為、色々な苦労も有ったようですが、いつも変わらぬ人柄で私達に接してくれました。そして長男さんも優秀で大阪歯科大学口腔外科助教に成っておられます。奥様は体調を崩されて入院加療中なので心重くしておられ「いつも、診療から帰ると家に誰も居なく、非常に寂しい思いをしているから妻は大事にしなくては成らない」と、いつも教えてくれました。その時、我にかえって、私は妻に対してどうかなと、よく考えさせられました。最後に、七夕会の長きにわたる会計担当を務めてくれましたことを感謝し上げます。人の後先は判らぬとはいえ、無情と寂しさをひしひしと感じる今日この頃です。どうか後藤君、安らかにお眠り下さい。さようなら

(穐山 幸彦記)

平成28年度 大8 おやしらず会

大阪歯科大学を卒業してから56年が過ぎ、「おやしらず会」のメンバーは全員傘寿をクリアーいたしました。ただし、ここで云う全員とは、2016年6月現在、同窓会事務室にある台帳に記載されている120名を指します。この人数は大学第8回生の卒業者数219名の54.8%に当たります。つまり同級生のほぼ半数近くが天国に召され
たと云うことになります。

おやしらず会訃報

同窓会報の前号 (2016年冬の号vol.193) がお手許にある方は「クラス会だより」のページを開いて下さい。「おやしらず会」のページでは「報ゼロの号」という見出しで、大変喜んでいます。確かに2015年の後半は計報ゼロでした。いつまでもこれが続いて欲しいと願っていたのですが、まことに残念なことに年明け早々の2016年1月6日、末長(竹谷) 裕之君の計報が知らされました。次いで4月15日、あの元気者だった野阪嵩君が亡くなられました。最近は体調を崩しておられたとのことですが、多くの方々は、あの学生時代の堂々たる姿が思い浮かぶのではないでしょうか。また、翌4月16日に、 富貴男君がご逝去という記事が、大阪府歯科医師会雑誌7月号に掲載されました。最近は、ほとんど例外なく家族葬を内輪で済まされて、ずいぶん日にちが経ってから同窓会事務室に届け出られます。以前のように葬儀告別式でお悔やみを申し上げる機会もなく、弔電すら発信するタイミングを逸します。この誌面をお借りして、お三方のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌

おやしらず会総会・懇親会

平成28年度のおやしらず会総会・懇親会は平成28年(2016年) 5月28日、神戸三宮の老舗中華料理店「神仙閣 神戸店」で、午前11時受付開始、午後11時30分総会、正午から懇親会という日程で開催されました。出席者数は昨年度より1名減り、39名でした。数の上では昨年同様と云えるのですが、まことに残念なのが女性の出席者の数であります。ハルカス効果?だったのでしょうか、昨年は4名だったのに、今年は別 夫人お一人でした。
現在、大阪歯科大学の女子学生数は369名(43.8%) で、一学年平均61名ですから、これからは卒業後のクラス会では女性優位が当たり前になるのではないでしょうか。因みにこの3年間、卒業生の数は100人を切っております。さて、清原光次君の「開会の詞」でスタートした平成28年度の「おやしらず会」は、唯一の九州からの出席者大坪稔君の「乾杯の音頭」によって開宴の運びとなりました。熊本大地震の報道が連日伝えられていると、われわれは九州全土が大変なことになっているとの印象を持ちますが、地震の被害は局地性が強く、佐賀県は全く無事だったとのことでした。来賓としては大阪歯科大学兵庫県同窓会の浜田幸人副会長をお招きいたしました。口腔外科OBということで旧知の方も多く、また会報バックナンバーで「クラス会だより」に十分目を通しておられたようで、親しみを込めた丁寧な祝辞を戴きました。

今年の「おやしらず会」出席者はこの日を待ち詫びていたようで、受付時間にはもう大半の人が集っている状態でした。懇親会では各テーブルで話が弾み、当初予定されていた2時間を30分延長し、14時30分に久野博康君が「閉会の辞」を述べ、名残りが尽きぬままに宴もお開きとなりました。

「おやしらず会2016」に出席された39名の内30名は「おやしらず会2015」にも出席されています。この方々は本当にお元気で、学生時代の面影そのままです。しかし、一方では寝たきりの方、施設に入所されている方、連日通院なさっている方など日常的に不便を強いられている同級生がいらっしゃることも否めない事実です。
今年は100名の方に案内状を差し上げましたが、来年からは不要の申し出もありました。中には同窓会報の送付を辞退される方もおられるようです。歳を重ねるにつれ、寂しさが増すこともあ50周年記念祝賀会の出席者は54名で、今年の出席者の実に36名が出席しています。米寿への道標、60周年を皆さん元気で目指しましょう!

(古跡養之員 記)

平成27年度 大8 おやしらず会

計報ゼロの号

私、古跡がこの「クラス会だより」を担当することになったのは2010夏(182号) からであります。本号は193号なので既に11冊に寄稿したことになります。前任者の森谷君から毎号必ず投稿するようにと厳命されたのでありますが、引き継いだのが75歳であったため、前号(2015夏、192号)まで、計報をお知らせしない号はありませんでした。ところが本当にうれしいことに、本号は計報ゼロなのであります。「同窓会報冬の号」の原稿締め切りは11月30日なのですが、それを12月10日まで遅らせていただいても同窓会事務室には、大学8回生の計報連絡はありませんでした。したがって、本号を「おやしらず会・計報ゼロの号」とさせていただきます。現在、同窓会事務室の台帳では大学8回生の会員数は123名であります。一方で、物故者94名、不明者2名計96名が名簿から消えております。ただ、ここで「計報ゼロ」とばかり手放しで喜んではいけないと思います。それはこの123名が、全員健やかに過ごしておられるのではないということであります。ひとつの指標と呼べるかどうか分かりませんが、われわれのクラスの同窓会費納入者は103名で、納入率84%というのは優秀なのだそうです。多分お元気な方々でしょう。しかし、病床に臥しておられる方、日常生活に支障を来すほどの体調不良が続いておられる方も少なからずいらっしゃると思います。「個人情報秘匿」の時代です。すでに亡くなっておられても、ご家族が公表を避けていらっしゃるかも知れません。でも、傘寿のクラスが「報ゼロ」は素直にうれしいです。

おやしらず会

平成28年度の「おやしらず会」総会・懇親会は神戸市で開催と決定しております。その日程がこのたび「兵庫県おやしらず会」から通知がありました。平成28年5月28日(土)ということです。予定としては、午前11時30分総会、正午から懇親会で、会場は決定していませんが、某有名中国料理店に内定しているそうです。2016年4月頃にご案内が届くと思います。どうか奮ってご参加下さい。近年、「おやしらず会」への出席者数は減少の一途を辿りつつあるようです。まことに残念です。一人でも多くの方の出席を願って電話での勧誘も試みるのですが、ご家族から「本人が同窓会とは縁を切りたいと申しておりますので・・・」とご本人が電話口にも出られないケースが増えてきました。残念でなりません。傘寿といえば聞こえが良いのですが、後期高齢者であることも厳しい現実です。やむを得ない事情もおありでしょうが、「減ること」は寂しい限りです。どうか平成28年5月28日をお忘れなきようお願いいたします。初めてご出席の方も、何十年振りに出席された方も、必ず異口同音に「来てよかった」と申されますので・・・。

(古跡養之員 記)

平成27年度 大8おやしらず会

おやしらず「傘寿」の会

今年(2015年)は昭和90年であります。昭和10年生まれが大勢を占めるおやしらず会は、来年の3月末で全員が80歳以上ということになります。したがって、今年は記念すべき「傘寿」の会なのであります。平成27年度のおやしらず会総会・懇親会は成27年(2015年)5月27日、あくのハルカス大阪マリオット都ホテル茜の間で、午前11時30分総会、12時から懇親会という日程で開催されました。出席者数は40名で、来賓としては本部同窓会から生駒等同窓会会長をお招きいたしました。会長からは席上ご丁重なる祝辞を頂戴するとともに、同窓会ならびに日本歯科医師会の現況を非常に詳しくご報告されました。まことにありがとうございました。さて、おやしらず会でこの10年、毎年話題になるのは「年齢」ではないかと思います。日本人の平均寿命が男女ともに50歳を越えたのは昭和22年(1947年)だそうであります。われわれは小学校6年生ということになりますが、先生からは「人生僅か50年、有意義に生きなければならない」とよく聞かされたのではないでしょうか。10年前のおやしらず会では「喜寿」あたりが全体としての集会を止める潮時かという声もあったようですが、あっという間に「傘寿」に到達したというのが実感ではないでしょうか。

次は「米寿」というのがハードルが高いのか、どうなのか、ともかく来年はやりましょうということになりました。平成28年度のおやしらず会は神戸市でと決定いたしました。詳細は次号でお知らせいたします。それにしても、卒業当時(昭和35年、1960年)に80歳までクラス会ができると考えていたでしょうか。本当にうれしいことであります。同窓会にありがちなこととして、出席者の常連化があります。まず、確信犯的に卒業と同時に母校から完全に離れる方、これはもう説得の余地はまったくありません。次いで高齢化に伴って、今後一切案内不要を申し出る方(おやしらず会でも10名以上)がいらっしゃいます。このような方々を除き、さらに絞られた40~50名程度が出席が期待できるというのが現状です。今回は、女性にうれしいことがありました。常連(と呼ばせていただく)の平野(竹内)さん、別當(村本)さんに加えて、久しぶりに坂井(梶川)さん、鈴木敦子さんが出席下さったことです。ずいぶん長い間、大阪歯科大学で女子学生が占める比率は10~20%だったと思います。現状はといいますと学生835名中、女子学生は355名(42.5%)であります(平成27年度)。他大学では女子が50%を超えていることも珍しくないそうですが、本学は2年生の49.3%(71名)が最大です。現在、おやしらず会では名簿上13名(10.5%)の女性がいらっしゃいます。いろいろご事情があるとは思いますがお一人でも多く出席いただければうれしいです。懇親会終了後、33名がビルとして日本一の高さを誇るハルカス300展望台に向かいました。全面開業後1年2ヶ月以上を経過していますがまだまだ人気は高く、入場に多少手間取りがありました。ハルカスに行く場合、最大のプレゼントはお天気です。当日は、そこそこの晴天に恵まれ、地上300メートルの景観を存分に楽しむことができましたが、「大阪は何と緑が少ないのか」というのが残念な感想でした。「大阪城って小さいな」とか「夜景の方が良かったかな」とか皆さんそれぞれの思いとともに地上に戻って行かれました。

物故者への追悼

まことに寂しいことですが、毎号言卜報は避けて通れません。平均寿命からすれば女性は世界一で86.61歳ですからまだ余裕がありますが、男性はやっと80歳に達したばかりだそうです。明日は我が身ということでしょうか。今号でもお二人のご逝去をお知らせいたします。愛知県の若狭一美君が平成27年1月11日、東京都の中川義臣君が平成27年1月27日にそれぞれ他界されました。お二人とも遠隔の地におられ、おやしらず会にもお顔を見せることもなかったので詳細はまったく分かりません。まことに心苦しいのですが、この誌面をお借りして、お二人のご冥福を心から祈念いたします。合掌

(古跡薑之眞記)

平成26年度 大8 おやしらず会

おやしらず会総会・懇親会

平成26年度のおやしらず会総会・懇親会は平成26年5月31日に開催されたので、その様子は「夏の号」で既に報告済みであります。したがって、この記事は平成27年度の総会・懇親会の予告ということになります。まだ細部までは決定していませんが、折角5月に日程を移したので、平成27年も5・6月に開きたいと思っています。会場は要望の多かった日本一の超高層ビル「あくのハルカス」の「大阪マリオット都ホテル」で話を進めております。

平成26年3月7日に全面開業した「あくのハルカス」の展望台(ハルカス300)の入場者数は11月24日に200万人を突破したそうです。年間目標であった180万人は10月26日に早々と達成していて、その人気の高さは驚くばかりです。もちろん、当日は出席者の皆様をこの展望台に案内し、流れ解散とする予定です。

平成27年は、われわれのクラスは傘寿の年となります。「おやしらず傘寿の会」へ、どうか奮ってご参加下さい。大学8回生の80歳の年を日本一の高さから大いに祝おうではありませんか!!

物故者への追悼

全員が後期高齢者である以上、寂しいことですが訃報は避けて通れません。本号でもお二人のご逝去をお知らせいたします。兵庫県の河村昌行君が平成26年6月19日、久さんの呼び名で親しまれた大阪府の吉岡久君が平成26年7月1日に、それぞれ天国に召されました。おやしらず会の行事では、専属力メラマンさながらに、愛機を振りかざしながら会場を駆けずり回ってくれた久さんの姿が目に浮かびます。お二人のご冥福を心から祈念いたします。合掌

現在、「おやしらず会」で支部活動が行われているのは兵庫県のみと伺っております。その有様を本欄に寄稿いただければと願っております。また、前号の樋口忠彦君の能舞台のようにクラスメイトの格別のご活躍を紹介していただければ大変うれしいです。その他、長寿にまつわるお祝いごとや、地域性の強い顕彰などクラスメイトの知られざるトピックなどをご存知の方は、ぜひともご一報下さい。必要なら取材をさせていただきます。あるいは、koseki801@gmail.com宛てのメールでも結構です。「クラス会だより」のより一層の充実を心から願う次第です。今年もよろしく!


(古跡薑之眞記)

平成26年度 大8 おやしらず会

おやしらず会総会・懇親会

最新の報告事項は何と言っても、平成26年5月31日(土)、京都ホテルオークラで開催された平成26年度の「おやしらず会」でしょう。出席者が25名というのは、おそらくこれまでのなかでは最も少なかったかも知れません。そのせいか、代表世話人の鈴木 實君の表情も暗かったように思いました。でも、そんな気にしないで下さい。この25名は、まさに「おやしらず会」の中核を成す、いわば精鋭なのです。なぜならば、25名中18名は3年連続出席者で、残りの7名も、この3年間で2回の出席者であります。つまり、この日の25名の出席者は、どんな遠方で開催されても「おやしらず会」に馳せ参じる面々だと思います。

例年、ほぼ11月に開かれる「おやしらず会」が、昨年の11月30日(土)、ヒルトン大阪 (38名出席)から期間を縮めて6か月目に設定されたのは、緑濃き、清々しい5月の京都を、クラスメイトに味わって貰いたいという京都府支部の方々の「お・も・て・な・し」だと聞いています。しかし、皮肉なことに、この日の京都は気温30度を超える真夏日でした。それでも、京都の人達のこの会に掛ける思いは十分に伝わってきました。来賓も昨年は、会員である三谷 卓同窓会長お一人だったのですが、今年は本部から生駒 等新同窓会長、恩田信雄専務、京都府からは平塚靖規京都府歯科医師会会長、京都府同窓会久富明宏副会長の4名が出席され、それぞれから心暖まるご祝辞を頂戴いたしました。会食の料理も大変好評で、隅々まで心配りが行き届いた楽しい「おやしらず会」でした。

物故者への追悼

平成26年が明け、4月に至る迄、まったく報が入って来なかったので、今年の「おやしらず会」総会では黙祷を捧げなくても済むと喜んでいた矢先、広島県呉市の鎌田久史君が4月15日に亡くなったとの知らせが参りました。かつて縁あって鎌田邸を訪れたとき、そこに飾ってあった彼の手による帆船模型の出来栄えの素晴らしさに驚嘆したことを思い出しました。同じ広島県の前場政巳君が急逝して以来、鎌田君は「おやしらず会」にまったく姿を見せなくなりました。それで、みんながとても寂しく感じていることを彼にうまく伝えられなかったのが、残念で心残りです。ご冥福を心から祈念いたします。
合掌

前号で同級生のエピソードをクラス会だよりで報じたいと述べました。その際、毎年鑑賞させて戴いている樋口忠彦君の能舞台のことが頭に浮かんでいたのですが、彼の演じる能はまさに玄人はだしで、とても本欄に収まるようなレベルではありません。三谷 卓君も同感ということで本誌の別のコーナーに投稿されました。ぜひとも目を通して下さるようお願いいたします。来年度の「おやしらず会」総会・懇親会は再び大阪に戻ります。奮ってご参加下さい。

(古跡養之員 記)

平成25年度 大8 おやしらず会

おやしらず会総会・懇親会

「同窓会報 冬の号」の原稿締切日は10月30日であります。どう泣きを入れても12月までは待っていただけません。したがって2013年11月30日に開催する「おやしらず会総会・懇親会」の模様は2014年夏の号で、ご報告することとなります。現在のところ、当日の出席予定者は39名で、昨年の37名を2名上回っております。昨年より
も1名でも多くという願いは辛うじてクリアしたのですが、例年20名前後の方から返信がいただけません。今回も3通のハガキが宛先人不明で返戻されました。出欠の○印の記載だけでも結構ですから返信を投函していただければと存じます。悲しいことですが、今後案内不要と申し出られた方が10名を超えました。それぞれご事情がお有りとは思いますが、復活いただける日を一日千秋の思いでお待ち申し上げます。

平成25年秋期 褒章・叙勲

大阪歯科大学同窓会員で、平成25(2013)年秋の叙勲者は8名でありました。われわれの学年では石川県の鈴木一夫君が瑞宝双光章の栄に浴されました。まことにおめでとうございます。

物故者への追悼

夏の号での報告以後、平成25年10月末日に至る迄に鬼籍に入られた方は京都府の河野 郁君であります。改めて平成25年中の物故者をご命日とともに報告させていただいて、哀悼の意を表したいと存じます。以下、敬称は省略させていただきます。嶋崎龍夫(平成25年1月20日)、桜井守(平成25年6月14日)、河野 郁(平成25年9月5日)の御三方であります。謹んでご冥福を祈念いたします。合掌

思い起こせば、昭和35年3月、大学第8回生として219名が母校を巣立ったのでありますが、卒後53年余を経過して物故者は既に89名を数えています。前後の学年と比べて際立って多いのは、とても寂しい限りです。

お願い

前号でもお願いしたのですが、同級生にまつわるエピソードがありましたら、どんな些細なことでもお寄せ下さい。クラス会だよりに反映させたいと存じます。おやしらず会支部活動としては兵庫県が有名です。一度取材させていただきたいと思っております。何といっても、同窓会事務室の最も近くに居住する卒業生です。皆様のお役に立つことでしたら労は惜しみません。どのような事でもお申し付け下さい。ではまた次号で!

(古跡 養之員 記)

平成28年度 大9 久栄会

大9久栄会総会・懇親会報告

本年で55回を迎えた久栄会総会・懇親会が池田英綱君のお世話で総数41名の出席のもと、平成28年6月11日(土)神戸ANAクラウンプラザホテル神戸において開催されました。総会は総務の篠田要児君の司会ではじまり、議
長に神谷幸男君を選出、物故者の御霊に黙祷を捧げご冥福をお祈りしたのち、会務報告等了承され議事に入り、平成27年度会計収支決算・会計監査も承認されました。

その他のところでは年に1回開催されている全国役員会の出席者への交通費支給が定額のまま永年据え置かれていることへの対応について建設的な意見が多数だされ、改善に向けての対応は役員会に一任するということとなり、議長の見事な議事さばきで総会を終了することができました。なお、次期第56回総会・懇親会はJR京都八条口新都ホテルにて開催される旨の報告が神谷幸男君よりあり、本年も一人でも多くの参加者があることを願う次第です。楽しみの懇親会は池田英綱君の司会進行のもと岩田益司君の開宴のあいさつ、熊谷秀雄君の乾杯の発声で幕を開け神戸らしい瀬戸内の魚などの料理とワインと相喉って学生時代の昔話に花が咲き、あっというまに港神戸の夜は過ぎてしまいました。

昨年の滋賀県大津での懇親会で、急 学歌斉唱のエールをしてくれた赤司範俊君が、今年は小道具も用意し、二年ぶりに顔を見せてくれた小川由基君と二人で愉快に学歌斉唱の最高の盛り上がりを作ってくれ、名残を惜しみつつ、来年京都での再会を合言葉にお開きとなった次第です。翌日の観光は28名でバスで出発、怪鳥「ハシビロコウ」など珍しい動物がいる「神戸どうぶつ王国」を見学の後「ルミナス神戸2」に乗船しフランス料理ランチを食しながらクルージングを楽しみました。ゆったり流れる時間が、普段話せないその人の世界観や歴史感、趣味の深部のところなど歓談できたことが何よりの喜びでした。心配された天候にも幸い恵まれ、トラブルや事故もなく無事二日間を楽しく共有できたことは、池田英綱君のお世話のお陰です。感謝とお礼を申し上げる次第です。

今年に入って田中雄馬君が旅立たれました。ご冥福をお祈りいたします。合掌

(岸直樹記)

平成27年度 大9 久栄会

久栄会総会および懇親会報告

第54回総会・懇親会が平成27年5月16日に滋賀県大津市の琵琶湖ホテルにて、滋賀県諸兄のお世話で総勢55名参集のもと開催されました。総会は総務の篠田要児君の司会で始まり、議長に神谷幸男君を選出、物故者の御霊に黙祷を捧げご冥福をお祈りいたしました。議事に入り、役員改選では留任の声で決まり、会員表彰では平成26年秋に栄えある叙勲(瑞宝双光章)をうけられた佐藤文夫君(当日欠席)、故宮腰恒寛君に久栄会より表彰状と記念品を手交(後日)させていただきました。神谷君の見事な采配で無事議事を終了することができました。第55回総会は兵庫県当番で神戸で開催が決まり、日程については建設的な意見が色々だされ、後日改めて連絡をさせていただくことで了承され、総会を終わり懇親会へと移りました。滋賀県特産の珍味を楽しみながら歓談に花が咲き、瞬く間に湖畔の夜が過ぎ、学歌斉唱となりましたが、今回は名物男の小川由基君が欠席のため急 赤司範俊君が務めてくれ、再会を約し賑々しくお開きとなった次第です。

翌日の観光は、滋賀県諸兄(中西、安澤、古藤、堀君)の度重なる準備のおかげで比叡山延暦寺に参詣いたしました。延暦寺事務長の小林福一氏が延暦寺駐車場まで出迎えてくださり、特別対応で大講堂から阿弥陀堂、根本中堂、延暦寺会館へと説明案内していただきました。阿弥陀堂で久栄会物故者追悼の法要を、三人の僧侶の読経で厳かに執り行い冥福をお祈りさせていただき、身心の安らぎを抱きながら全員無事帰路についた次第です。重ねて延暦寺小林福一氏に感謝を申し上げます。なお、昨年度総会以降鬼籍に入られた方をご報告させていただきます。天川宏君、伊東敏昭君、谷幸治君、宮腰恒寬君、坂順一郎君、水井弘二君、山本尚君、糸山昇君、内田千秋君です。ご冥福をお祈りいたします。合掌

(岸直樹記)

谷幸治君を偲んで

彼は卒業後すぐ岡大口腔外科に入局し、その翌年結婚。同時に玉野市で開業。38年に長男が誕生。続いて二人の息子さんに恵まれ、三人とも歯科医師に育て上げ、晩年は親子三人で充実した診療をしていました。とにかく彼は何をするにも手早く、近くに県内第一号の本格ゴルフコースが開場すると同時に入会。私が42年にその玉野GCに入会した頃には、既に彼はシングルプレイヤーでした。彼と特に親交が深くなったのはその頃でした。
48年大阪に泊り込みで補綴の研修会をしているから行かないかと誘われ、超多忙な時期でしたが一年間毎月ついて行きました。それがその後の診療の宝になり感謝しています。彼は向学心に燃え、その頃はまだ一部で疑問視されていたインプラントを手掛けていました。先見の明があったのでしょう。現在花形の学問に発展し、彼の生涯に行ったインプラントは数千本に上がるでしょう。実は私も20本施術してもらい、今でも何不自由なく食を満喫しています。彼は牧野に下宿していたので、必然と麻雀、囲碁、酒盛等で級友の溜り場となっていました。彼は多趣味でマリンスポーツ、漁船を所有しての魚釣、温室を設備しての洋蘭作りには生涯心血を注いでいました。また、カメラはプロ級で、昔は自分で現像から引き伸ばしまでやっていました。牧野時代の友人で結成したイレブン会でも面倒見が良く、奇しくも期を同じくして亡くなった水井君と共に、毎年の旅行の発案から実行まで、長い間世話をしてくれました。北君、大谷君、小川君に続きまた二人を亡くし、イレブン会も大崩壊です。

昨年5月に肺癌を発病、今年3月に余命1ヶ月と宣告されるまで一切公表しなかったのも彼らしい配慮でしょう。最後に自宅へ見舞いに行ったとき、病人とは思えない足取りで玄関まで出てきて、“もう何ともしようがないなぁ”と人生を達観し尽くしたような彼の言葉が印象的でした。一時間ほどつもる話をし、次に見舞う約束をして帰りましたが、それは叶いませんでした。彼はやりたいことは全てやり切った満足感を感じさせる立派な生き方でした。友人としても尊敬できる人でした。どうか安らかに眠ってください。さようならそしてありがとう。合掌

(細川浩成 記)

水井先生追悼記

水井先生が昭和27年5月19日、81歳の生涯を閉じられました。26年前前立腺を患い手術をされ、入院退院をされていましたが、薬石効無く無くなられました。先生とは入学したときより席を隣して友となり、60年同道させていただきました。開業され、歯科医師会、学校医、連合会会長、保護司など大いに活躍され、また我々同級生で作ったイレブン会会長として、労苦を惜しまず働いていただきました。イレブン会は家族同伴で、いつも一緒に楽しいお付き合いを、この55年の長きに渡りさせていただきました。子ども達が独立してからは夫婦でとなり、年に一度国内旅行、二年に一度の海外旅行と、ずっと続けて行ってくださいました。楽しい一つの家族のようでした。それも水井先生と、岡山のときを同じく亡くなられた谷先生お二人のおかげです。世界の国十何ヶ国、国内は数えられないほど、その他、ゴルフに、観光に、会食にと集まらせていただき、大変楽しかったです。思い出が走馬灯のように、今頭の中を駆け巡っています。亡くなる前年10月にも奥様と同伴され、みんなと一緒に山中温泉に一泊旅行に行ったのが最後の別れになりました。私はその前にもう一度寄せて話をさせていただきましたが、悲しい、淋しい、心残りです。大変お世話になりました。ありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。合掌

(長尾勉記)

平成26年度 大9 久栄会

久栄会総会及び懇親会

第53回久栄会総会・懇親会が平成26年5月10日(土)に九州ヒルトン福岡シーホークに於いて長崎の赤司範俊君の並々ならぬ肝煎りで、北は北海道の熊谷秀雄君をはじめ全国から36名が参集し開催されました。思い起こせば22年前の第31回久栄会も赤司君のお世話で、その時は長崎で盛大に開催されたことを昨日のことのような気がしますが・・・・・・まだ50才台でした。元気でしたね。総会は篠田要児君の司会ではじまり、物故者への黙祷、神谷幸男君の見事な議長采配で会議案が承認され、本部会計の繰越金取り扱いについても貴重なご意見をいただき無事終了しました。懇親会は赤司君が色々と趣向をこらして、大阪歯科大学同窓会の「大歯魂」ビデオで大阪歯科大学の歴史を、そして22年前の長崎での第31回久栄会総会の模様を映したビデオを上映、若かりし頃の姿に懐かしさもひとしおで今はなき友の様子に涙しました。そして姜(ジャン) 鵬(ポン)さんの中国川劇変面のショーと時のたつのも忘れて盛り上がりました。締めは例によって小川由基君のエールで学歌斉唱でお開きとなりました。

有志による二次会はカラオケで、これまた赤司君の七変化の変装や美空ひばりのモノマネ等で楽しいひと時を福岡ヤフオクドーム(当日はプロ野球ソフトバンクが勝ちました)を下に見ながら楽しみました。翌日、観光組は柳川の城堀の水郷川舟遊覧や北原白秋生家の記念館で、作詞された大歯学歌などを見学した次第です(バスガイドの出る幕のない赤司君の観光ガイドでした)。両日共に素晴らしい晴天に恵まれ、それも長崎の赤司君が福岡で「どうやってみんなを楽しませてやろうか」の一心で色々と気遣いをし、趣向を凝らして企画、お世話をして下さったことにほんとうに頭が下がり感謝の気持ちで一杯です。赤司君ありがとうございました。
尚、第54回久栄会総会は滋賀県諸兄のお世話で来年5月16日(土)に滋賀県大津市での開催を予定しています。再会できますことを楽しみに。

(岸直樹記)

平成25年度 大9 久栄会

総会及び懇親会報告

第52回久栄会総会・懇親会が岡山市のホテルグランヴィア岡山において平成25年10月12日(土)に南は九州の赤司君、北は北海道の熊谷君と全国より49名が参集し開催されました。総会は篠田要児君の司会で始まり、昨年度の総会以後に惜しくも逝去された物故者の御霊に黙祷を捧げ、ご冥福をお祈りいたしました。会員表彰では平成25年度春叙勲(瑞宝双光章)の千代忠俊君に表彰状と記念品を、つづいて前役員の池田君、森村君、足利君、神谷君、篠田修君に感謝状と記念品が手交され、神谷君の見事な議長采配で議案全てが承認され無事終了いたしました。岡山県の諸兄(井上、御供、谷、戸川、細川、山野、中井君)の行き届いたお世話で懇親会は地元岡山県の井上君の司会で幕を開け、万難を排し駆けつけてくださった全国同窓会三谷卓会長、岡山県歯科医師会酒井昭則会長よりそれぞれ来賓のご挨拶をいただき、つづいて岡山県同窓会松三洋夫会長の乾杯の発声で一気に盛り上がりました。旧交を温め、今という青春を分かち合い、あっという間に時間は過ぎ、学歌斉唱につづき松三洋夫会長の素晴らしい見事なエールでの応援歌と相まって、互いの再会を約し中井君の閉会のことばで盛大なお開きを迎えることができました。

翌日ゴルフ組は谷君のお世話で素晴らしい瀬戸内海の景観に囲まれた東児ガ丘マリンヒルズGCで雲ひとつない秋晴れのもと参加者16名が最後まで棄権、トラブルもなく無事和楽のプレーを楽しんだ次第です。重ねて岡山県諸兄の尽力に感謝を表します。来年第52回久栄会は赤司君のお世話で5月10日(土)、11日(日) 福岡での開催を予定しています。再会できますことを楽しみに。

物故者への追悼

昨年度の総会以降鬼籍に入られた8名の方を命日とともに報告させていただき、哀悼のまことを捧げたいと思います。後藤光基君(平成24年12月5日)、大橋九昂君(平成25年1月20日)、櫻井真行君(平成25年2月8日)、脇英彦君(平成25年2月26日)、佐本佳代子君(平成25年4月30日)、稲田保夫君(平成25年4月30日)、水野修造君(平成25年8月8日)、朝倉幸恵君(平成25年8月23日)です。合掌

(岸直樹記)

佐本佳代子さんを偲んで

佐本佳代子さん(旧姓細川)は、ほっそりと小柄な可愛らしい方で皆んなピーちゃんと愛称で呼んでいました。コーラス部では山下先輩の指揮のもと、世界の民謡を原語で沢山歌いました。演劇部では「修善寺物語」「栗どろぼう」の演目を持って梅本先生率いる救奉仕団と共に、岡山県の長島の愛生園、大島の青松園と島めぐりをしながら慰問をしました。科学研究会(科研)では無歯科医村の歯科検診や虫歯予防の啓蒙運動をインストラクターの先生方と共に頑張りました。走馬灯のように思い出がいっぱいの学生時代でしたね。

卒業後の50年間は科研と九栄会で年に2回以上は逢って楽しい時を過ごし、歯科のみならず人生を語り合い育児相談、料理のレシピ交換等、言葉に言い尽くせません。いつの間にかピーちゃんも私もだんだん肥えて貫禄がでましたよね。ピーちゃんは九栄会の名会長を長く務め、その他の会長職を数々こなし、誰からも信頼され、愛され、笑顔の絶えない暖かい方でした。趣味も広く、中国文化研究会(マージャン)は大好きでしたね。蝋 染めや茶道、油絵と幅広くされていました。私の診療所には今もピーちゃんから頂いたひまわりの絵がいつも見守ってくれています。最近はさまざまな病気と闘い、私がお見舞いに伺った時はまるで童女のように色白で美しく可愛らしく、出逢った時のようにほっそりとしていて白魚のようなやさしい手で握手をして下さいました。

私たちはあなたが逝かれて淋しいですがピーちゃんは天国で待っておられるご両親様や背の君の佐本さんと幸せに手を取り合っておられるれることでしょう。ピーちゃんの生前のいつも暖かい心配りと笑顔に感謝しています。ありがとう。御冥福を心からお祈りいたします。

(堀内 昌代記)

平成28年度 大10 ひとわ会

第54回ひとわ会総会 於 大津港 ビアンカ 平成28年5月25日

第54回ひとわ会総会は、京滋ひとわ会担当で滋賀県大津市にて開催されました。当日例年の如く早朝よりゴルフコンペが瀬田ゴルフクラブにて行われました。
総会は午後4時より受付され、出席者46名、大津港にてこれから乗船するチャータークルーズ船“ビアンカ”を背景に集合写真を撮り乗船した。船は定時に出航、夕方の琵琶湖の風景を眺めながらの総会開催となりました。総会内容はひとわ会誌“北から南から”に詳しく掲載されていますので省略致します。
さて、来年平成29年度は第55回ひとわ会記念総会にあたり、大阪が担当で開催される予定ですが、その案内の前にひと言申し上げます。来年度にはひとわ会の皆様もいよいよ八十路に到達致します。只今(平成28年10月20日現在) 会員数162名であります。その方々もなお現役で診療に勢を出している方、悠々自適な人生を過ごしている方、予期せぬ病魔で苦悩されている方、平々凡々に毎日を暮らしている方、人それぞれの人生を歩んでいるように思われます。そこでこの場を借りまして、現在来年度の計画で予定の案内を申し上げます。



平成29年10月18日(水)
場所 リーガロイヤルホテル
ダイヤモンドルーム
時間総会 午後5時開始(午後4時から受付)
会費・親睦会 (催し物) 検討中

確たる案内は平成29年5月頃に詳しい案内状を送付させて頂きますが、返信は必ず送って下さい。コメント欄にはひと言でもいいですから何か文言を書いて下さい。返信のハガキはその人の顔を思い浮かべながら読ませてもらっています。以上、いろいろ申し上げましたが、私個人の勝手なお願いかと思われますが、来年度の予定と共に報告させて頂きます。


(福原幹二 記)

平成28年度 大11 士会

士会の総会及び懇親会の報告

3年ぶりに、平成28年4月23日(土) 午後12時30分にリーガロイヤルホテル2階山楽の間で大士会(大阪府士会)のお世話で開催されました。参加者は36名です。総会ではまず、病気をおして出席された大士会会長島田勝弘君(平成28年7月26日ご逝去)の挨拶で始まり、議長に森弘温君を選出、最初に前回以後の物故者13名(下記記載)を議長が読み上げ弔意黙祷しました。次に士会会長森本正孝が挨拶と平成27年度秋期叙勲者、旭日双光章伊藤義宏君(山形県南陽市)、瑞宝双光章岡崎正君(滋賀県草津市)、宮井享君(徳島県徳島市)の披露とお祝金送付の件を報告。今回熊本地震による士会同期の福岡市の安藤昌好君、羽生哲也君、丸山胖君、大分県中津市の松田正一君、佐世保市の犬塚昌穂君、延岡市の高濱義秀君、鹿児島県南さつま市の黒木浩隆君、鹿屋市の中原康吉君いずれの方も被害はないとのこと、一部の方は体調を崩され療養をしておられるとのことでした。会計報告を、平成25年京士会開催について会長の三木毅君、士会については森本正孝よりあり、いずれも了承されました。

次に、次期開催については当番県の藤田忠司兵士会会長より、なにぷんにも皆さんが高齢となりこの会を続けてゆくべきか、また、時期及び場所はどうするかと提案があり、岡邦恭君よりできる限り続けてほしい、また時期については大部分が二年後に数え年で80才になるのでその折に、詳細についてはお任せするとあり、了承された。藤田会長より、場所等は世話が大変ですので業者に一部任せて開催しますので多数の参加をお願いすると返答あり。

最後に、平成26年春期に瑞宝双光章を綬章された、堀口外茂雄君より謝辞があり、閉会の辞を幹事の逸見智康君がし終了する。続いて、逸見幹事の司会により懇親会が始まり、まず来賓に来られた大阪歯科大学理事長・学長川添堯彬先生、大阪歯科大学同窓会会長生駒等先生の紹介があり、各々の先生より大学の現状及び同窓会の状態と将来の展望の祝辞をいただきました。参加者の中で最も遠方より来られた久保慶治君の乾杯の音頭で宴会に入りそれぞれ和気遇い合いの中、話も盛り上がりそれぞれのテーブルで歓談の輸がひろがり午後二時半過ぎに終了しました。今回お世話頂いた大士会のみなさん、特に幹事の逸見智康君には大変お世話になり感謝申しあげます。

平成25年総会、懇親会以後の物故者名(敬称略)

奥原康久(兵庫県)、 貴久男(和歌山県)、若林蔚(岡山県)、藤田卓也(大阪府)、寺田好輝(千葉県)、清水廣幸(大阪府)、古川明一(大阪府)、武市甫(京都府)、増田勝彦(香川県)、松尾静夫(愛知県)、本山栄荘(広島県)、酒井(旧姓溝川)幸子(京都府)、清水強(兵庫県)、森本省二郎(兵庫県)

高松平人君より本山栄荘君に追悼文をよせていただきました。

本山栄荘君へ

平成28年1月13日、栄荘君は旅立ちました。あなたと初めて会ったのは昭和32年春でしたね。早稲田大学を卒業後しばらく社会人としてサラリーマン時代を過ごされました。これは和歌山の宮本君(ジミー)、中野の尚ちゃんに聞きました。お父様が「いつまで道楽をしているのだ」とお叱りになったのか、大阪歯科大学の同級生として昭和38年卒業しました。学生時代からおっとりとした大人風で通称「モーさん」でとおってましたね。牧野の住人として有名人だったそうです。

昭和39年4月に広島の本山歯科医院を継承され、早々と臨床医として地域で活躍されました。平成13年4月1日に本山歯科を御子息にバトンタッチされ勤務医となられましたが、その間、大歯大同窓会の支部長を務められ、よく皆さんのお世話をされていました。一方歯科医師会では当時の松島会長を支え広島県歯会員のお世話を本当に
よくされたように聞きました。平成9年4月1日に広島県歯会長に就任され、平成19年3月末日まで県歯会員を一つにまとめられ、隅々までよく行き届いた会員指導をされていました。その間、日本歯科医師会の理事に就任され人望厚かったですよね。

病に倒れられ病室で顔を見あわしてビックリされたようだったのがつい先日のような気がします。大阪の玉川先生が言ってましたよ。「牧野の下宿で一緒にマージャンしてた友人が皆さんいなくなった。これでマージャンができなくなった、淋しいな」あなたは我々同年代より7歳年長だから、よく頑張りましたよ。あちらで先に失礼と逝った人達によろしく言っといてください。広島の夜の街でごちそうになった時など、夜が更けても「帰ろうや」と言わないスタミナの塊のようでしたが、そちらで、ゆっくりと休んでください。合掌

(森本正孝 記)

平成27年度 大10 ひとわ会

第53回 ひとわ会総会

今回は九州での総会を西原義昭、新開清司両君のお世話で佐賀県嬉野温泉で開催された。先ず懇親会より先に、総会を同場所にて午後5時30分より開会。同時に昨年度総会以降に亡くなられた方々への黙祷ののち代表のあいさつ、報告事項(各部)の報告があり、協議事項に入る。

協議での決定事項

1 来年度開催地の件について
第54回は京都、滋賀での開催(昨年決定)
京滋代表として高山省吾君より発表。
・時期 5月下旬に行う
・場所琵琶湖上の貸切遊覧船内での総会及び懇親会 (景色を観ながら)
・泊り琵琶湖ホテルを予定(希望者)
・ゴルフ 瀬田ゴルフクラブ 北コース
・会費例年通り(程度)
・出席者 50人以上が望ましい

2 再来年55回総会について
5年毎の記念総会にあたるため大阪が担当、皆さんの意見を色々聞いたことを参考に企画内容は役員会で決定する。

3 第56回以後の開催について
毎年同時期、同場所で行うことが好ましいとの意見が大多数であることから尚一考の余地ありと思う。
以上

追記 詳しくは“北から南から”(2月下旬~3月上旬まで発行予定) で案内いたします。

(福原幹二記)

大10 ひとわ会
平成27年10月21日~22日

ひとわ会の皆様、未だお元気でしょうか? 第53回ひとわ会総会は「杖を突き、点滴をうちながら」の合言葉のもと、九州は佐賀県嬉野に集いました。我がひとわ会は、昭和37年卒業以来、一度だって中断することなく、北は札幌から、南は鹿児島まで日本中を経巡り、「ゆうさん」こと、梅谷雄ークラス代表を中心に10回生の絆を育んできました。昨年の名古屋に引き続き、今年は福岡での開催を要請され、これを快諾。此の地での開催は、これで二度目で、第一回は新幹線が博多に乗り入れた昭和50年で、あの頃はみな若く、仕事に、粉ズ栗に励んでおりました。あれから40年。露天風呂、みんなで入れば“とどの群れ”とアシ科の仲間にされてしまいました。
当初は、博多の地での開催を模索しましたが、此の地は、祭りはあれど、これといって観光するところに乏しく、それに湯質上等の温泉がなく、どうせ入るなら日本三大美肌の湯と われている佐賀の嬉野温泉で、肌を磨き、心身ともにリフレッシュして頂くことに致しました。今回は、ご夫妻で出席される方が多く (14組)、むくつけき男共の中で奥様方の輝ける笑顔に接し、楽しいひと時を過ごさせていただきました。嬉野の綺麗どころに加え、新開清司君の尺八を中心とした、鼓、三味線の和楽会の皆様の合同演奏で、賑々しくて楽しい品格ある懇親会となりました。加納晴彦君のユーモア溢れる乾杯ならぬ万歳三唱で中締め、後は夜半まで、歳を忘れての二次
会。翌日も快晴で、佐世保湾内をクルージング。アメリカおよび海上自衛隊の艦船を波間より見上げ、上陸後、海上自衛隊佐世保史料館にて明治~昭和の第一級の史料を見学し、佐世保湾および九十九島を見下ろす山上にて腹ごしらえ。午後は、百渓正明君の計らいで、有田の県立九州陶磁文化会館で特別展を全員フリーパスで、しかも学芸員の付きっ切りの説明で、館内の展示品を鑑賞させて頂いた。百渓君に感謝! 17時30分、博多にて今生のお別れ。来年は、琵琶湖船上にての集いを企画されておられる由、大変楽しみである。京滋幹事さんよろ
しく!その時までひとわ会の皆々様歩けるようにしておいて下さい。

ひとわ会 冥土の土産コンペ 始末記
総会前日集合、近くの居酒屋にて技術の研修会を図るも、はや明日の決勝に備えて、けなし合い等の舌戦。男共は、加納晴彦君、大杉裕俊君、鐘築英志君、三女子プロの貫禄に圧倒されて飲めども一向に酔わず。21日快晴。白マークから後期高齢者仕様のゴールドマークに変更、NPはセカンドNPとし、腕力賞は高山省吾君、大杉裕俊君、加納晴彦君等の怪物に備え、ドラニア賞を追加。
9時スタート。聞きしに勝る高山、大杉の飛び、ショット技術。二人を除名したい。
戦果(ダブルペリア)
優勝 大杉裕俊
準優勝 西原義昭
三位 福原幹二
ベストグロス 高山省吾

(西原義昭 記)

平成27年度 大10ひとわ会

四元貢君を偲んで

四元貢君とは大歯1年に入学した時E組で同じ組という事で、時々話しをしていました。当時新田先生とか他の先生が彼の呼び方が解からず、君の呼び方はシゲンと呼ぶのかと間かれていた事を思い出します。彼は京都の方に下宿していて真面目で帰り道も違うため、あまり付き合いはありませんでした。彼の話し方は鹿児島特有のイントネーションで少し変わった話し方だなあといつも思っていましたが、全く最後まで変わりませんでした。卒業してスタディグループの関係で鹿児島の先生方と親しくなり色々な話の中でいつも四元君の話が出て、鹿児島県歯科医師会では大変に活躍しておられる話を間いて喜び、さすがに四元君だと感心をしていました。一度鹿児島に行った時、四元君のお宅にお邪魔させていただき素晴らしいご自宅を拝見させていただきました。その時、特にお庭の石はご自慢のようでした。丁度次の日がお子様の運動会があるので来てみないかと誘われて見に行ったところ、各家庭がゴザを敷いて場所をとって、全くこちらでのお祭りの状態で驚き、地方によっては運動会もこんなに違うんだと思った次第です。そこには奥さんのお父さんもお越しになっていて、暫くすると料理屋の軽トラックが「お侍たせしました」と料理を運んで来ました。慣れない私としてはこんなことをしても良いのかと戸惑い驚いた事でした。彼は卒後鹿児島へ帰って、鹿児島大学の口腔外科に在籍しておられ、たまたま上顎癌の手術の話になった時に、うちでは4時間でできると自慢していました。彼は秀才で非常に勉強ができた学生で、色々教えてもらった記憶があります。ある時、同級生で食事をしている時、その中の一人が四元先生と呼ぶので何で同級生なのにそんな呼び方をするのだと間いたところ、友人が彼の家庭教師をしているんだと聞き、さすが四元君だと驚いた次第です。本当に彼は歯科医師として、また鹿児島県歯科医師会でも会長として頑張って会をまとめ、引っ張っていき素晴らしい功績を残し、彼は人生を全うしたと思います。78歳で亡くなられましたが、もっと長く生きて頑張っていただきたかったと今更ながら惜しい人を失くした事を残念に思います。彼のご冥福を心から祈念し、拙い文章ではありますが私の惜別の気持ちとさせていただきます。

(加藤晴彦記)

平成26年度 大10ひとわ会

第52同ひとわ会開催

この度、第52回ひとわ会及び総会が名古屋駅前の「名古屋マリオットアソシアホテル」51階の眺望豊かな会場で10月30日に開催しました。総会に先立ち梅谷雄一会長から我がひとわ会は卒業後52年間滞ることなく毎年開催され、これは大学の他のクラス会にはない実績であるとの挨拶があり、一重にひとわ会の絆の強さを知らされました。恒例に従い総会を終え、次回開催地九州の西原義昭君及び次の開催地京都の高山省吾君から案内紹介がありました。

我々昭和37年に卒業した当時は、236人いましたが、喜寿を迎えた今日では60人近くが他界しています。毎年総会時に追悼を込め黙祷をしていますが、残念ながらその数は年々に増えており人生のはかなさを感じております。今回、各地方から総数39人(夫妻を含め)が一同に集まり、名古屋音学大学木村直子さんのハープ演奏を舞台に、飲んで、食べて時間の経過を忘れ、近況や想い出に耽り、話題に花を咲かせ、まだ話足らずで閉会後ホテルの最上階のラウンジで秋の夜長を語り続けました。話題はどうしても健康の話になり、物忘れ、物探し及び記憶力の低下による老化の現象が多く、今後は健康第一をモットーに、少しでも長く健康寿命を伸ばし好きなこと、やりたいこと及び認知症に注意し、来年の再開を薑いあった会でありました。最後に声高らかに大学の校歌を合I昌し、近藤彩二君のエールで締めくくり、意気投合し和やかなうちに閉会することができました。

現在、名古屋の観光の中には建造物の歴史這産を辿る、「文化のみち」と名付けたエリアがあります。翌日は、その文化のみちを希望者が散策し、ボランティアの説明で旧害用佐助邸や旧川上貞奴邸等を興味深く見学し、明治・大正のロマンを堪能して、名残り借しくも名古屋駅にて解散しました今回、愛知・岐阜県の担当で開催致しましたが、特に近藤彩二君の配慮ある計画で無事終わることができほっとしています。参加された皆さん方には十分なおもてなしができなかったことを世話人一同悔やんでいます。しかし、一同が大声で愉快に元気に気兼ねなく話ができたことに満足しています。来年度は九州地区で開催されることになっております。できるだけ多くの同級生の顔・顔・顔に接したいものです。

(長坂信夫記)

追加:今回の総会で報告された物故者は次の通りです。
中畑享三君、西村奎介君寺崎吉彦君、小林格君、田中清隆君及び前田哲二君のご令室様、福嶋松蔵君のご令室様のご逝去に対しご冥福をお祈り致します

平成25年度 大10 ひとわ会

第51回「ひとわ会」総会(広島)

「台風27号」が接近中の10月24日(木)に広島に於いて開催された。当地では40年振りである。東は名古屋、西は宮崎から42名の会員・奥様方が来広され、一年振りの再会を祝った。午後5時からの総会では、梅谷代表から挨拶があり毎年クラス会を行っているのは「ひとわ会」だけであり、これからも各地での開催を願うとのことであった。報告事項に移り広報・加藤隆正君、会務・福原幹二君、会計・大杉裕俊君から夫々報告があり、監査報告も行われた。協議事項としては来年は近藤彩二君に名古屋で、再来年は西原義昭君に九州地区で開催して戴きたいとの提議があり、両君より歓迎の言葉を戴き総会を終了した。引き続き記念写真撮影を行い、懇親会に移った。各地から奥様の手を引き、引かれて集った方々、明日は診療があるから今日は「日帰り」の方々、「少々の雨が降っても明日はゴルフをやるぞ~!!」の強者達で宴が始まった。来賓として同窓会広島県支部会長の水野良行氏(大13回)をお迎えし、余興の“津軽三味線”も入り、いつもの様に賑やかに旧交を温めた。二次会はバーに、カラオケに、物足らない者は夜の街へと・・・。これが後期高齢者かと思わせる御達者振りである。

明けて25日は生憎の雨模様となったが、7時にはゴルフ組の為に送迎の貸し切りバスが用意されているので朝会もそこそこに広島GC西条コースに向った。ゴルフ場に着けばなんとか雨が止むだろうの願いもむなしく、シトシトと降る中、19名がアウト・インに別れてスタートした。傘とクラブ両手に持ち、素晴らしいコースを廻った
が、ハーフを終るともう止めた方が良かろうとのことで中止。さっそく風呂に入りミーティングとなった。優勝・富田武彦君、2位・高山省吾君、3位中島尚壬君で、以下スコアは記さないが雨のせいで皆さん沢山たたかれました。観光組の方々も宮島見物を予定していたが雨のため急 変更され、呉市の「大和ミュージアム」に10分の1の戦艦「大和」、零式艦上戦闘機などの見学となった。ゴルフ・観光ともに時間が少々短縮されたが、2時から3時にかけて広島駅・ホテルで解散となった。この頃には雨も上がりなんとも歯痒いことだった。開催地としては沢山の方々に参集して戴いたことに、松原弘明・水野文行と共に深く感謝します。

追伸

総会時に昨年から今年にかけて御逝去された荒木典正君、山田一郎君に対して黙祷を捧げました。

(前田 哲二記)

クラス会・OB会だより

クラス会だより

OB会だより